写真映えする晴れの日コーデ|ペプラムギャザーで叶える上品セットアップ

雨上がりの朝で、駅のホームがいつもより明るく見えた。空気はまだ冷たくて、マフラーの端が頬に当たるたびに「今日も生きてるな」みたいな、どうでもいい実感だけが増えていく。
改札を抜ける前、コートのポケットでスマホが震えて、会社の先輩から「来月、子どもの卒園式なんだけど…服って何着ればいい?」って、珍しく弱気なメッセージが届いた。
忙しくて、返事はあとでいいやと思ったのに、画面を閉じた瞬間から、頭の中のどこかがずっとザワザワしていた。
私は30歳で一人暮らし、式典に関する予定は今のところゼロ。なのに「卒園」「入学」「晴れの日」って言葉だけは、春先になると勝手に近づいてくる。
電車の中吊り広告にも、駅のポスターにも、SNSのタイムラインにも。祝う側の空気が濃くなる季節って、なんだか自分の輪郭が薄くなる気がして、ちょっとだけ苦手だ。
今日の小さな出来事は、たぶんそれ。先輩の一言で、私は自分が“その世界の外側”にいることを、変に意識してしまった。おめでたい話なのに、心が勝手に引っかかる。
そういう自分の狭さが嫌で、でも見ないふりもできなくて、私は昼休みにコンビニのイートインで、いつものカフェラテを飲みながら楽天を開いた。仕事の連絡を返す前に、なぜか私は「セレモニースーツ」を検索していた。
ペプラムギャザーの“晴れの日スーツ”を眺めながら、私の居場所を数えてしまった

画面に出てきたのが、NOAHLの「ペプラム ギャザー レディース セレモニースーツ(セットアップ)」だった。最初に惹かれたのは、いわゆる“いかにもスーツ”っぽい硬さが少ないところ。
ウエスト切り替えにギャザーが入っていて、ふわっと広がるペプラムシルエット。見た目はちゃんとしているのに、表情がやわらかい。なんというか、真正面から「フォーマルです!」って威張らない感じが、私みたいに式典に縁が薄い人間にも優しい。
それに、フロントのボタンは閉めてもいいし、開けてジレみたいに羽織ってもいいらしい。きれいめ素材で落ち感があって、甘いシルエットも大人っぽくまとまる、と書かれていた。
こういう説明文を読むとき、私はだいたい「本当に?」って疑うクセがあるんだけど、それでも“落ち感”って言葉には弱い。落ち感って、私の生活に一番足りないやつだから。
サイズはF(M)フリーで、着丈は80cm、肩幅48cm、バスト51cm…と具体的に載っていて、こういう数字って、誰かに選ばれるための“根拠”みたいで少し安心する。
色もサンドベージュ/カーボングレー/ブラック。黒はやっぱり間違いないけど、サンドベージュの「透け感ややあり」って注意書きも正直で好感が持てた。
素材はポリエステル80%、レーヨン16%、ポリウレタン4%。 “きちんと感”のために、肌触りやシワの出方や落ち感を計算してるんだろうなと思う。しかも、ポケットあり。
私はポケットがあるだけで、ちょっと信用してしまう。ポケットって、生活者への思いやりの最小単位だと思ってるから。
画面をスクロールしていると、「セットで7,990円」とか「単品4,794円→クーポン」みたいな表記も目に入る。 もちろん値段は嬉しい。でも、今日の私は値段より、もっと別のものを見ていた。たぶん私は、“自分の人生に必要な服かどうか”を確認したかったんだと思う。買うか買わないか以前に、「私はこの服を着る世界に入っていいのか」って。
先輩の「何着ればいい?」に、私はうまく返せなかった
昼休みが終わる5分前、私は先輩に返事を書きかけて、消した。「上品でいいと思います!」とか「これなら体型カバーできますよ!」とか、そんなテンプレは簡単に送れる。でも、送ろうとするたびに、胸の奥に小さな抵抗が出てくる。
誰にも言わなかった本音は、これだ。
——私は、式典の服を選ぶ人に、ちょっとだけ嫉妬している。
嫉妬って言うと、自分がすごく嫌な人間みたいだけど、もっと弱い、もっとみっともない気持ち。たとえば、卒園式や入学式って「この日この場所に行く」って予定が、未来のカレンダーにちゃんと存在してるでしょう。
その予定がある人は、服を選ぶ理由がある。写真に残る理由がある。誰かに“きちんとした姿”を見せる理由がある。私は今、ブログのネタと、仕事のタスクと、冷蔵庫の中身で予定が埋まってるだけで、たぶんどこにも“晴れの日”が入ってない。
だから先輩の相談は、温かいはずなのに、私の中では少し痛い。祝う気持ちと、自分の空白を見せつけられる気持ちが、同じテーブルに並んでしまう。混ざると苦い。
それでも、先輩は悪くない。だからこそ、私はうまく返せなかった。自分の心が面倒で、情けなくて、キーボードの上で指が止まったまま、私はまた商品ページに戻ってしまった。
“晴れの日スーツ”って、誰のための鎧なんだろう

買う前に、私は一度だけクローゼットを開けた。ハンガーに掛かっているのは、仕事用の黒いジャケットと、何年も前に勢いで買った細身のパンツ、それから「いつか着るかも」で残したままのワンピース。
どれも“使える”はずなのに、どれも“晴れの日の自分”にはしっくりこない。たぶん私は、服の問題じゃなく「その日にふさわしい顔をできるか」が怖いんだと思う。
きちんとした服って、着るだけで周りの期待値が上がるから、変に背筋が伸びてしまう。失敗できない感じがして、笑うタイミングまで慎重になる。私はそういう「空気に合わせる才能」があまりないので、フォーマルが近づくと先に疲れてしまう。
でも、ペプラムギャザーのベストは、そこを少しだけゆるめてくれそうだった。
ジャケットみたいに肩で“勝負”しないし、ギャザーの分だけ体が自由に動ける気がする。裏地はなしで、伸縮性も基本はないと書いてあるけれど、素材にポリウレタンが入っているのは、たぶん落ち感と動きやすさのバランスを取るためなんだろう、と勝手に想像している。
たたみジワが強い場合もあるけど、洗濯やアイロンで改善、と注意があるのも現実的で、変に夢を見せないところが好きだった。
それと、私は“セットアップ”という言葉にも弱い。上と下を考えなくていいのって、忙しい大人にとってはもう、それだけで救済措置みたいなものだから。セット価格の表示を見ながら、私は「こういうのを選ぶ人って賢いんだろうな」と、少しだけ自分を棚に上げていた。
ペプラムのギャザーって、体型を隠すためだけじゃなくて、視線を柔らかく散らしてくれる気がする。直線的なジャケットよりも、腰のあたりに空気が入るから、立ち姿が少し呼吸して見える。
しかもボタンを開けてジレとして着られるなら、式典のあとにそのまま仕事へ行く日でも、肩に力を入れすぎずにいられそう。
私はこういう“便利さ”を見ると、すぐに「自分の生活に引き寄せて考える」癖がある。たとえば、会社でちょっと大事なプレゼンがある日。会議室の空気が硬い日に、スーツっぽいのに堅すぎない服って、意外と助けになる。
あるいは、久しぶりに会う親戚の集まりとか、友人の結婚式の二次会のような「ちゃんとして見られたいけど、頑張りすぎたくない」場所とか。そういう場面って、独身だろうが何だろうが、普通に来る。
なのに私は、いつの間にか「セレモニースーツ=母の服」って勝手に決めつけて、勝手に距離を取っていたんだと思う。商品名にも「ママコーデ」って書かれていることがあるし、実際そういう用途が多い。
でも、だからって“母じゃない人は着ちゃいけない”わけじゃない。なのに私は、境界線を自分で太くして、勝手に外へ出て、勝手にさびしくなっていた。
それって、服の問題じゃなくて、たぶん私の頭の中の問題だ。
ひとつだけ、今日の私に起きた小さな変化

午後、仕事がひと段落して、結局私は先輩にこう返事をした。
「これ、ペプラムで腰回りがふわっとしてるし、ボタン開けてジレっぽくも着られるみたいです。硬すぎないけどちゃんとして見えるのが良さそう。色は黒なら間違いないし、ベージュは少し透け感あるみたいなのでインナー選びだけ注意です。」
送信したあと、私は少しだけ肩の力が抜けた。アドバイスができたからじゃない。自分の中の“勝手な境界線”を、ほんの数ミリだけ薄くできた気がしたからだ。
そしてもうひとつ、気づいた違和感がある。
私は「晴れの日」がないことを恥ずかしいと思っていた。だから人の晴れの日に、心がざわつく。でも、冷静に考えると、晴れの日って、予定として入ってくるものもあるけど、自分で作るものでもある。
極端な話、ひとりで記念写真を撮る日だって晴れの日でいい。新しい服を着て、いつもと違う道を歩く日だって、ちゃんと“晴れ”だ。
もちろん、そんなふうに簡単に割り切れない日もある。私だって、卒園式の話題でタイムラインが埋まると、スマホを伏せてしまう夜がある。——わかる…って言ってくれる人、きっといると思う。誰かの幸せを祝いたい気持ちと、自分の空白が疼く気持ちは、同時に存在してしまうから。
ただ、今日は少しだけ違った。ペプラムギャザーの柔らかい形を見て、「私もこの服を着ていいのかもしれない」と思えた。母じゃない私が、誰かの晴れの日に立ち会うために選ぶ服。あるいは、自分の小さな節目を、誰にも見せないままでも、ちゃんと祝うための服。
その程度の変化。だけど、こういう小さな変化って、生活を意外と長く支える。
締めに、まだ答えの出ない問いを置いておきたい。
私たちは、誰かの“晴れの日”の隣で、どんなふうに立っていればいいんだろう。ちゃんと祝いたい、でも自分の心も守りたい、その両方を叶えるために、服はどこまで助けてくれるんだろう。





