
my’s(マイズ)スムースファンデーションは、公式上で「薄づき高カバー」「ウォータープルーフ」「トラネキサム酸」「12種類の美容成分」「ベースメイクとスキンケアを同時に叶える」といった特徴が打ち出されていました。
初回は税込1,980円の定期コース案内があり、2回目以降の価格や発送サイクル、解約期限も細かく定められているので、そのあたりは申込み前に必ず確認しておきたいタイプの商品だと思います。
誰にも会わない日の顔を、いちばん雑にしていたのかもしれない
今日は朝から天気が中途半端で、晴れるならちゃんと晴れてほしいし、降るならいっそ降ってほしい、みたいな空だった。洗濯物を外に出す勇気はなくて、でも部屋干しにするほどの決意もなくて、結局ベランダの手前でしばらく立ち尽くしてしまった。
こういう、誰に見られるわけでもない小さな迷いが、平日の朝にはやけに多い。
仕事は在宅で、今日の予定は画面越しの打ち合わせがひとつだけ。しかも午後の遅い時間だったから、朝の私はずいぶん気が緩んでいた。
髪はひとつにまとめて、パーカーを着て、顔はなんとなく日焼け止めだけ。部屋にいるだけなんだから十分、という理屈はたぶん正しい。でも正しいことと、気分が整うことって、あんまり同じじゃない。
昼前、牛乳を切らしていたのを思い出して、近所のコンビニまで出た。ほんの三分の距離だし、誰かに会う予定もないし、レジで商品を受け取ったらそのまま帰るだけ。
そのつもりだったのに、セルフレジ横の小さな鏡に映った自分を見た瞬間、胸の奥でちょっとだけ何かが引っかかった。すごく疲れて見えた、というより、なんというか、自分で自分を後回しにした顔に見えたのだと思う。
寝不足でもないし、泣いたわけでもないし、体調が悪いわけでもない。ただ、今日の私は、今日の自分に対してあんまり手をかける気がなかった。
そのことが、思ったより顔に出ていた。たったそれだけのことなのに、誰にも言わなかった本音としては、「あ、こういう日は、仕事がしんどい日より地味にまずいな」だった。
しんどい日はまだ自覚がある。でも、自分を雑にしている日に限って、本人は“別に大丈夫”の顔をしているから厄介だ。
前に私は、メイクとか服装とかを「誰かに会う日の装備」みたいに考えていた気がする。人にきちんと見られたい日、人前に出る日、写真を撮る日、気合いを入れたい日。
そういう“外向きの予定”がある日だけ、身支度に意味が生まれると思っていた。でも最近、その考え方だと、予定のない自分がずっと置き去りになるんじゃないかと思うようになった。
my’s(マイズ)スムースファンデーションを調べていて気になったのは、公式がかなり強く「ベースメイクとスキンケアを同時に叶える」と打ち出しているところだった。
薄づき高カバー、自然に溶け込む仕上がり、ウォータープルーフ、美白ケアを叶える設計など、ただ隠すだけじゃなくて、日々のベースメイクを“雑な作業”にしない方向へ寄せている商品なんだな、という印象があった。
もちろん、ファンデーションひとつで人生が変わるとは思っていない。そこまで素直じゃない年齢にもなった。
でも、朝の数分で「今日は自分を適当に済ませなかった」という感覚を持てることは、思っているより侮れない。大げさな自己肯定感の話じゃなくて、もっと地味で、もっと生活に近い話として。
コンビニの鏡に映っていたのは、疲れた顔じゃなく“後回しにされた自分”だった
鏡に映る自分が疲れて見える日って、単純に睡眠不足のこともあるけれど、今日のあの感じは少し違った。
くすみとか毛穴とか、そういう美容の言葉で説明できるものではなくて、自分の輪郭がぼんやりしていた。顔立ちの話ではなく、“私は今日をこう過ごします”という意思みたいなものが、表面からごっそり抜けていた。
たぶん私は、忙しいときより、気を抜きすぎているときのほうが、自分を見失いやすい。忙しい日は「とにかくやる」があるから、まだ前に進める。
でも予定が薄い日や、誰にも会わない日や、成果が目に見えにくい日って、自分の扱いがどんどん雑になる。部屋着のまま仕事して、コーヒーを何回も温め直して、メッセージの返信をあとでにして、鏡もろくに見ないまま夕方になる。そういう日、ある。かなりある。
誰にも会わない日ほど、自分のことをいちばん雑に扱いやすいの、わかる……と思う。
この“雑さ”って、怠けているとか女子力が低いとか、そういう話にしたくない。もっと静かで、もっと切実なやつだ。
毎日ちゃんとしていられないのは普通だし、ちゃんとできない自分を責めてもあまり意味がない。ただ、雑に扱われ続けた自分は、じわじわ機嫌が悪くなる。
しかもその不機嫌は、怒りや悲しみみたいに大きく表に出ないまま、集中力のなさとか、人への冷たさとか、夜の無駄なネット徘徊とかに形を変えて滲んでくる。
今日の私は、その入り口に立っていた気がした。ほんの小さなコンビニの鏡なのに、見たくなかったものを見せられた感じがしたのだと思う。
きれいに見せたい、ではなく、投げやりに見えたくなかった
家に帰ってから、午後のオンライン打ち合わせまで少し時間があったので、顔を洗って、ベースメイクをやり直した。ここでフル装備にする元気はなかったけれど、何もかも“まあいいか”で済ませるのも違う気がした。
my’s(マイズ)スムースファンデーションの公式ページには、「これ1本で全て完結」「ベースとスキンケアを同時に叶える」「7つの無添加処方」「安心の国内工場で製造」といった言葉が並んでいた。
情報の出し方としてはかなり“時短しながら整える”方向だなと感じたし、そこが今の生活には案外合っているのかもしれないと思った。がんばる日のための完璧な一手ではなく、崩したくない日の最低限を底上げしてくれる感じ。
実際、私がこういうアイテムに惹かれる日は、「可愛くなりたい」というより、「投げやりな自分でいたくない」日のほうが多い。ここ、昔よりずっと大きい変化かもしれない。
20代のころは、メイクってもっと戦闘服みたいだった。ちゃんと見せたい、なめられたくない、可愛く見られたい、年相応に見せたい。そのどれも間違いじゃないし、今でもゼロではない。
でも30歳になってからは、それよりも「自分の生活にちゃんと参加している顔でいたい」という気持ちが強くなった。
今日の私は私のままでいいけど、今日の私を投げずに受け取っていたい、みたいな感覚。
ファンデーションって、シミや色ムラを隠すためのものだと思われがちだけれど、本当は“今日はこういう顔で過ごしたい”を整える道具でもあるのかもしれない。
特に、my’sみたいに肌悩みのカバーと日中のケアを同時にうたう商品は、メイクを盛るためというより、顔に対する扱いを少し丁寧に戻すためのものとして使う人も多いんじゃないかと思う。
公式でも、トラネキサム酸や12種類の美容成分、美白ケア、自然に溶け込む仕上がりなどが前面に出ていて、“隠して終わり”ではない文脈で設計されていることが伝わってきた。
私は美容の話になると、すぐ「もっとちゃんとしなきゃ」に寄ってしまう癖がある。でも今日みたいな日は、ちゃんとするより先に、“見放さない”くらいでいいのかもしれない。
肌に完璧を求めるんじゃなくて、自分の顔を雑に扱わない。それだけで、午後の空気はほんの少し変わる。
予定のない日を整えることは、未来の自分への投資というより、今日の自分への礼儀だった

午後の打ち合わせは、特別なことのない普通のものだった。カメラ越しに映る自分も、劇的に変わったわけじゃない。
ただ、昼前のコンビニで見た顔よりは、明らかに会話に参加している顔をしていた。なんだかそれだけで十分だった。
ここ数年、何かを整える理由として「未来のため」という言葉をよく聞く。美容も、運動も、貯金も、勉強も、全部そう。
もちろんそれは本当だし、未来の自分は今の積み重ねでできていく。でも今日は、その考え方が少し遠く感じた。今この瞬間の自分が置いてけぼりのまま、未来のためだけにがんばるのって、たまに息苦しい。
今日の小さな気づきは、身支度って未来の自分への投資というより、今日の自分への礼儀なのかもしれない、ということだった。
礼儀といっても堅苦しい意味じゃなくて、忙しくても、冴えなくても、誰にも褒められなくても、「はいはい、今日のあなたもここにいますよね」とちゃんと受け取る感じ。
予定のない日にファンデーションを塗ることも、きれいになるためというより、自分の存在を雑にしないための動作に近いのかもしれない。
my’s(マイズ)スムースファンデーションは、公式を見る限り、初回価格の入りやすさや時短感のある訴求が強い一方で、定期コースの継続条件や解約期限はかなり具体的なので、軽い気持ちで飛びつくというより、生活の中に本当に組み込めるかを見て決めたほうがいい商品だと思う。
そういう意味でも、“勢いで買うご褒美コスメ”というより、“朝の自分を少し整える道具”として相性を考えるのが自然かもしれない。
なんでもかんでも気合いで乗り切れない年齢になって、むしろよかったと思うことがある。無理な日は無理だし、雑な日は雑だし、可愛くいられない日も普通にある。
でもその中で、全部を放り投げるんじゃなくて、ひとつだけ丁寧にする場所を残しておくと、生活は思ったより崩れにくい。
今日はたまたま、それが顔だっただけだ。
別の日には、シーツを替えることかもしれないし、冷蔵庫に麦茶を作っておくことかもしれないし、返信をひとつ返すことかもしれない。
大きな改善じゃなくて、自分を放置しないための小さな手つき。そういうものの積み重ねで、たぶん私はぎりぎり機嫌を保っている。
昔の私は、こういう小さな整え方を、あまり信用していなかった。もっと劇的に変わらないと意味がないと思っていた。でも、劇的な変化なんて年に何回も起きない。
その代わり、地味な“持ち直し”は毎日のように起きる。コンビニの鏡にぎょっとして、家に帰って顔を整え直して、午後の自分を少しだけ回収する。今日あったのは、たぶんその程度のことだ。でも、その程度のことに案外救われる。
メイクの話をしているようで、実はたぶん、生活の参加率の話をしている。
今日の自分を今日のうちに回収できるかどうか。
誰にも会わない日、何も起きない日、成果の出ない日でも、自分の輪郭を消しすぎずにいられるかどうか。
そこに効くものなら、ファンデーションでも、マグカップでも、音楽でも、たぶん何でもいい。
でももし今、自分を少し後回しにしすぎている感じがあるなら、朝の顔を整える数分は、思っているより意味があるのかもしれない。
今日の私は、コンビニの鏡でそれに気づいた。
あなたは最近、誰にも見せない自分のことを、ちゃんと見ていますか。





