夜にひとりで食べたいチーズブリュレが想像以上に救われる甘さだった理由

玄関のドアを閉めた瞬間、外の冷たさがいっぺんに背中から剥がれて、部屋の空気だけが静かに残った。夜の八時。コンビニの袋を片手に、もう片方の手で鍵を回す動作に慣れすぎていて、帰宅っていう言葉が持つ「おつかれさま」みたいなあたたかさが、最近はどこか他人事だ。
エアコンのリモコンを探す前に、とりあえず照明をつける。白い光がつくと同時に、今日一日の「うまくいかなかったこと」が、蛍光灯の下でちゃんと形になる気がした。昼休みに送ったメッセージの既読がつかないまま、夕方の会議で発言しそびれて、帰りの電車で席を譲られて妙に申し訳なくて。大きな失敗じゃない。だからこそ、ひっそりと気持ちに居座る。
袋の中に、目的のものがある。今日のテーマは「チーズブリュレ」。
駅の売店で見かけた「大阪チーズブリュレ」ってやつを、つい買ってしまった。常温で持ち歩けて、賞味期限も長いらしい、って店員さんが言っていた。いかにも“手土産”の顔をしているのに、私の手にあるのは一人分。誰にも渡さないのに。わざわざ。
だけど、今日の私はその「わざわざ」に救われたかったんだと思う。
冷蔵庫に入れるほどの元気はない。でも甘いものは欲しい。しっかり甘いのに、できれば少しだけ大人っぽい苦みもほしい。そういう、都合のいい気持ち。
棚に置いたバッグから財布を出したとき、「これ、買ってもいい?」って誰にともなく確認する癖が出そうになって、自分で自分に苦笑した。誰にも許可はいらないのに。ひとり暮らしって、自由の形をしているのに、たまに“自分の中の誰か”に監視されてるみたいで息が詰まる。
箱を開けると、小さなカップと、別添えのカラメルクラッシュ。
「かりっ」と仕上げたカラメルを、食べる直前にかけるらしい。チーズケーキ部分は“ふわっ”と“とろっ”の二層、という説明をどこかで読んだ。ふわっ、とろっ、かりっ。人の気持ちみたいな言葉だな、と妙なところで引っかかる。
製品としては、1個あたりチーズケーキ60gとカラメルクラッシュ2g、エネルギーは138kcalらしい。保存は直射日光と高温多湿を避けて、賞味期限は製造後6ヶ月。卵・乳・大豆のアレルゲン表記もある。そういう情報が、ちゃんとある。安心のための数字が並んでいる。
けれど、私が今日欲しかったのは「安心」じゃなくて、「慰め」だったのかもしれない。
安心は、正しい答えに近い。慰めは、揺れたままでも許される場所に近い。
スプーンを取り出して、まずはそのまま一口。
ふわっとした上の層は、思ったより軽い。口の中でほどける。けれど軽いからこそ、次の瞬間には「もうない」って思う。下の層はとろっとしていて、少しだけ密度がある。甘い、でも甘さだけじゃない。チーズのコクが、どこか“背伸び”みたいに見える。
そこへカラメルクラッシュを落とす。袋を開けた瞬間に、ほんの少し焦げた香りが立った。カラメルって、香りだけで気持ちの向きを変える力がある。自分の機嫌をとるって、こんなに小さな作業なんだな、と少し泣きそうになる。
かりっとしたカラメルが、ふわっとした層に引っかかって、口の中で短い音を立てる。
その音が、今日の私の「うまくいかなかったこと」をいったん止めた。
既読のつかないメッセージも、会議での沈黙も、席を譲られて笑ってしまった気まずさも。全部、消えるわけじゃない。でも、ほんの少し“遠く”なる。食べ物に救われるのって、情けないのか、賢いのか、私はまだ判断できない。判断できないまま、二口目をすくう。
ただ、食べ進めるうちに、別のモヤっとした瞬間が浮かんできた。
今日、電車で席を譲られたとき、私は「大丈夫です」って反射で断った。断ってから、相手の手が少し宙に残って、そこで初めて「私、感じ悪かったかな」って気づいた。
断りたかったわけじゃない。むしろ、座りたかった。立っていた足は痛かったし、夕方からずっとお腹も重かった。だけど、座る自分を想像した瞬間に「私はまだ頑張れる側でいたい」みたいな、よく分からない意地が出た。
頑張れる側。助けられる側。そうやって勝手に線を引いて、勝手に疲れる。
誰にも言わないけど、私は「誰かに甘えたい」と思うことがある。
恋愛の“甘え”じゃなくて、もっと生活の、心臓の近くのところ。
たとえば、帰宅したら台所にお茶が淹れてあって、「今日はどうだった?」って聞かれる、とか。
たとえば、ただ黙って隣に座ってくれる、とか。
そういうのを欲しがる自分を、私はいつも「重い」って思ってしまう。重いから隠す。隠すから、ますます重くなる。ひとり暮らしって、そのループが上手に回りやすい。
チーズブリュレのカップの底が見え始めたころ、カラメルクラッシュの食感が少し変わってきた。
最初は確かに“かりっ”だったのに、時間が経つと少しだけしっとりして、キャラメルみたいに柔らかくなる。そういう仕様なのか、私の部屋の湿度のせいなのか、分からない。分からないけど、その変化が妙にリアルだと思った。
最初の印象って、いつも正しくない。時間が経つと、かたく見えたものが柔らかくなったり、逆に、柔らかく見えたものが急にかたくなったりする。
人も、たぶん同じ。
私は今日、自分の「大丈夫」を信じすぎたのかもしれない。
大丈夫って言葉は便利で、短くて、相手も自分も黙らせる。
でも、便利な言葉ほど、後からじわじわ効いてくる。
私が本当は言いたかったのは、「ありがとう。助かります」だった気がする。
それを言えなかった自分に、腹が立った。
腹が立つって、たぶん、期待してたってことだ。自分に。あるいは、世界に。
期待って、裏切られると痛いから、なるべく持たないようにしてたのに、気づいたらちゃんと持ってる。そういう自分が、少し恥ずかしい。
私が食べたのはこちら
チーズブリュレは「ご褒美」じゃなくて「中間地点」

甘いものを買うとき、私はよく「今日は頑張ったから」って理由をつける。
頑張ったご褒美。ご褒美だからOK。
それって、どこかで“頑張らなかった日は甘いものを食べちゃいけない”って自分に言っているのと同じだ、と最近気づいた。
頑張らない日がある。うまくいかない日がある。ぐずぐずの日もある。
その全部に、いちいち採点して、合格の日だけに甘いものを許可するの、疲れる。
今日のチーズブリュレは、ご褒美というより「中間地点」だった。
うまくいかなかった日のまんなかに、ぽんと置かれた甘さ。
“ふわっ”と“とろっ”の二層と、“かりっ”のカラメル。
その三つが重なるだけで、私は少しだけ呼吸が深くなった。
たぶん私は、正解が欲しかったんじゃない。今日という日を、次の朝まで持ちこたえるための“つなぎ”が欲しかった。
頑張り続けるためのスイーツじゃなくて、頑張れない自分と一緒に座ってくれるスイーツ。そういうのが、たまに必要だ。
そして、こういう商品が「常温で持ち歩ける」「日持ちする」っていう事実は、思った以上に意味がある。冷蔵庫に入れなきゃいけないものは、受け取る側にも準備がいる。でも、常温で置けるなら、疲れて帰ってきた夜にも、棚から出してそのまま食べられる。私みたいな、生活の余白が狭い人には、それが小さな救いになる。
でもここで、また変な罪悪感が出てくる。
「救い」とか言って、たかがスイーツに。
たかが、なのに。
そう思う自分がいる。
私はいつも、“たかが”で心を整えるのが下手だ。
たかが入浴剤、たかが好きな香り、たかがコンビニの花。
たかがの積み重ねで人は生きてるのに、私はたかがを軽視して、結果、全部が大げさに崩れる。
「甘い」って、弱さの言い訳にもなるし、強さの練習にもなる
チーズブリュレを食べ終わって、カップをすすいで、シンクに置く。
ほんの数分の出来事なのに、部屋の静けさがさっきよりも柔らかい。
それでふと、今日の“うまくいかなかったこと”を、もう一度思い出す。
既読がつかないメッセージ。
会議で発言しそびれた沈黙。
電車で席を譲られたときの、私の反射的な「大丈夫です」。
ここで私は、いつもの癖なら「私が悪い」で終わらせる。
でも今日は、終わらせないで、少しだけ眺めてみる。
既読がつかないのは、相手が忙しいだけかもしれない。
会議で発言できなかったのは、私のタイミングが悪かっただけかもしれない。
席を断ったのは、私の中の“頑張れる側でいたい”が勝手に動いただけかもしれない。
どれも、確定じゃない。確定じゃないことを、確定みたいに抱えてしまうのが、私の悪い癖だ。
甘いものは、その癖を一瞬だけ緩める。
「まあ、いったん落ち着こう」っていう、時間をくれる。
その時間の中で、私は少しだけ“自分を雑に扱うのをやめる”練習ができる。
誰かに甘える練習じゃなくて、まず自分に甘える練習。
甘えるって、だらしなさじゃなくて、余白をつくることなのかもしれない。
だけど、ここでまた揺れる。
自分に甘えるって、どこまでが“優しさ”で、どこからが“逃げ”なんだろう。
境界線が分からない。
分からないまま、私は明日もたぶん、同じように「大丈夫です」って言ってしまうかもしれない。
それでも、今日の私は、次に同じ場面が来たら「ありがとう、座ります」って言ってみたい、とも思っている。
言えるかは分からない。言えない未来も、全然あり得る。
でも、“言ってみたい”って思えたことが、今日の小さな変化だ。
チーズブリュレが、私に何かを教えてくれたわけじゃない。
教訓みたいなものは、たぶん、ない。
ただ、ふわっとして、とろっとして、最後にかりっとして。
その食感の順番が、今日の私の気持ちの順番と似ていた。
軽く受け流したつもりのことが、後からとろっと重くなって、最後にかりっとした違和感として残る。
その違和感を、私は今夜、無理に“正解”にしなくていい。
明日になったら、また別のモヤっとが出てくる。
そのとき私はまた、誰にも言わずに、棚の奥から何かを出して、ひとりで機嫌をとるかもしれない。
それでもいい。たぶん、今はそれでいい。
結論はまだ出ないまま、カップの底に残った甘い香りだけが、少しだけ私を許している。





