冬にモチベーションを上げないと決めた理由

今朝、カーテンのすき間から入ってくる光が、ふだんより薄くて、部屋の輪郭まで少しだけぼやけて見えた。
エアコンのタイマーはちゃんと働いているのに、床はまだ冷たくて、靴下の裏に「冬だよ」と言われるみたいだった。
スマホを手に取ると、通知の数字が小さく点灯していて、画面の中だけが元気に動いている。こっちはまだ、起動していないのに。
冬の朝って、気合いを入れる前に、まず体温を取り戻す作業がある。
お湯を沸かして、マグに注いで、両手で包む。そこでやっと「今日を始める」スイッチが押せる感じ。
なのに最近、SNSや広告の言葉は、私の体温よりずっと高い温度で「モチベ上げよう!」って叫んでくる。
しかも冬は、年始とか、年度末とか、「区切り」のせいで、熱い言葉が増える。
見ているだけで、手足は冷たいのに、心だけが勝手に焦げつきそうになる。
たぶん冬って、モチベーションが上がらない季節というより、上がらないことを「ダメ」と見なされやすい季節なんだと思う。
日が短いと眠くなるし、寒いと動きたくないし、そもそも人間が“省エネ”に寄っていくのは、わりと自然なことなのに。
それでも私は、毎年この時期になると「もっと頑張れたはずの自分」を取り出して、現在の自分に突きつけてしまう。
そして、その比較がいちばん疲れる。行動より、比較のほうが体力を奪う。
今日はその疲れに、ちゃんと気づいた日だった。
1つ目の出来事:コンビニのレジ横で、心が小さく折れた
今日の「小さな出来事」は、ほんとに小さい。
通勤前に寄ったコンビニで、いつものホットコーヒーを買っただけ。いつも通りの、何も起きないはずの瞬間。
でも、レジ横の棚に「新年からの自分改革」「最短で変わる」「今日の努力が未来を救う」みたいな言葉が並んでいて、私はその前で、無駄に立ち止まってしまった。
雑誌でも本でもなく、たぶん“気持ち”を売っている棚。
スパイスみたいに元気を振りかける言葉が、カラフルな表紙に詰め込まれていて、なぜか私は、そのカラフルさに負けた気がした。
誰にも言わなかった本音は、たぶんこれ。
「変わりたいって思えない私は、もう詰んでるのかな」
口にしたらバカみたいだから、喉の奥にしまったまま、レジ袋の持ち手だけ強く握った。
コーヒーのカップが紙なのに、やけに冷たく感じたのは、たぶん私のほうの問題だ。
“モチベーションを上げる”って、素敵な言葉に聞こえる。
でも私には、ときどき「上げなきゃ価値がない」って命令みたいにも聞こえる。
その命令が怖いのは、たぶん、私は一度“上げること”で乗り切った経験があるからだと思う。
気合いで夜更かしして、気合いで予定を詰めて、気合いで笑って、気合いで「大丈夫」を言い続けて、
ある日突然、全部が止まって、ベッドの上で天井を見つめるだけになる——あの反動の記憶が、体のどこかに残っている。
だから私は、上げるときほど、内心で身構えてしまう。
2つ目の揺れ:やる気のフリが、いちばん体力を奪う
会社に着いて、デスクに座って、PCを立ち上げて、いつもの作業を始める。
それだけで、午前中の半分くらいの体力を使ってしまう日がある。
冬は特に、肩が勝手にすくむし、呼吸まで浅くなる。私だけじゃないと思うけど、寒さって、心にも作用してくる。
外の空気が冷たいと、気持ちまで硬くなる。ほんの少しだけ、自分に優しくできなくなる。
そんな日に限って、同僚が明るい声で「今年こそ頑張ろうね!」って言ってくれる。
その一言が嫌なわけじゃない。むしろありがたい。
でも私は、反射で笑って、「うん、頑張ろう〜!」って返しながら、内側では別の声がしている。
「頑張るって言った瞬間から、もう疲れてる」
この“やる気のフリ”が、私の冬のラスボスだった。
本当は、頑張れない日があるだけなのに、頑張っているふりをしないと、何かを失う気がする。
評価とか、居場所とか、ちゃんとしてる人という席とか。
そういうのが、冬の空気みたいに薄く漂っていて、見えないのに、吸い込んでしまう。
そしてさらに厄介なのは、“やる気のフリ”って、本人にもバレにくいところ。
「私、ちゃんとやってる」って思い込むために、予定を盛ったり、ToDoを増やしたり、手帳にシールを貼ったりして、
外側の“頑張ってる感”を整えてしまう。整えれば整えるほど、心の中の疲れだけが置き去りになる。
読者のあなたも、たぶん一度は思ったことがあるはず。
「頑張りたいんじゃなくて、怒られたくないだけかも」って。わかる…。
あと、「休みたい」じゃなくて「休む理由がほしい」って思う日も、わかる。
理由がないと休めないの、なんでだろうね。人間、真面目すぎる。
3つ目の気づき:冬は“上げる”より“下げない”のが上手

昼休み、ビルの外に出たら、風が容赦なくて、息が白くなった。
私はコンビニで買ったスープを片手に、人気の少ない階段の踊り場で立ったまま飲んだ。
座ると冷えるから、立って飲む。地味な冬の知恵。
スープの湯気が、目の前でふわっと消えていくのを見ながら、私はようやく、朝のレジ横の言葉を思い出していた。
そのとき、ふと「モチベを上げないと」って、誰の声なんだろうと思った。
私の声? それとも、世の中の声? それとも、去年までの私の声?
考えてみると、私が本当に欲しいのは、爆上げのやる気じゃなかった。
欲しいのは、燃え上がる炎じゃなくて、消えない小さな火。
あったかいまま、明日まで持ちこたえる火。
冬って、体も心も、省エネモードになるのが自然なのに、なぜか“フルパワー”の人だけが正解みたいになりやすい。
でも、私は今日、決めた。
冬は、モチベーションを上げなくていい。上げないと決める。
その代わり、下げない工夫をする。自分を責める方向にだけは、落ちないようにする。
ここでいう「下げない」は、テンションを無理に保つことじゃない。
“私を雑に扱うスピード”を上げない、という意味に近い。
疲れているのに自分を急かしたり、寒いのに無理に外に出たり、誰かの元気に合わせて笑いすぎたり、
そういう小さな乱暴を、冬の間だけ少し減らす。
気分を上げるより、乱暴を減らすほうが、私には効果があった。
ささやかな変化は、ほんとにささやか。
帰宅後の予定を、盛らないことにした。
「夜はこれもやって、あれも片づけて、未来の自分を救う」みたいな計画を、今日は立てない。
やる気がある“設定”を自分に付与しない。
その代わり、帰ったらすぐ手を洗って、部屋の明かりを少しだけ暖色にして、湯たんぽを布団に仕込む。
洗い物は一気にやらない。洗濯物はたたまない日があっていい。
“できない”じゃなくて、“今日はやらない”という言い方にする。言い方ひとつで、罪悪感の濃度が変わる。
夜、帰宅してコートを脱いだら、部屋が静かすぎて、いったん立ち尽くした。
一人暮らしの静けさって、味方にもなるし、敵にもなる。
冬は特に、静けさが敵側に寄りやすい。
「この静けさの中で、私はちゃんと生きてる?」みたいな、答えのない質問が、ふいに浮かぶから。
その瞬間、また誰にも言わなかった本音が出てきた。
「本当は、上げたいんじゃなくて、安心したいだけ」
モチベーションって、未来への勢いの話みたいに扱われるけど、私にとっては、安心の代用品だったのかもしれない。
勢いがあるときだけ、私の価値が保証される気がして。
でもそれって、めちゃくちゃ不安定な保証だよね。勢いなんて、毎日出せるものじゃないのに。
たぶん私は、冬にモチベが上がらないんじゃなくて、上げることに疲れている。
上げた後に落ちる反動までセットで知っているから、最初から上げないほうが、私の心は静かに保たれる。
“元気な私”を演じない日があるだけで、夜の呼吸が少し深くなる。
それに、上げないと決めたら、代わりに「守る」ことに目が向いた。
睡眠、体温、部屋の明るさ、連絡の返事の速度、SNSを見る時間。
私の毎日って、上げるより、守るもののほうが多いのかもしれない。
このブログを読んでくれている同世代のあなたも、仕事や将来や人間関係のことを考えながら、
「ちゃんとしなきゃ」と「もう無理」の間で、こっそり揺れている日があると思う。
その揺れを消すためにモチベを上げるんじゃなくて、揺れたままでも倒れないように、手すりを増やす。
それが、私の冬の戦い方になりそう。
“戦い”って言ったけど、たぶん、勝つためじゃなくて、消耗しないためのやり方。
たとえば私は、返信が遅い自分を責めるのをやめたい。
すぐ返せない日は、心の余白がない日で、悪意があるわけじゃないのに、既読のまま置いた画面を見るたびに「感じ悪い人」認定を自分でしてしまう。
冬はその自己裁判が増えるから、いったん休廷にする。返事は遅れてもいいし、スタンプひとつでもいいし、最悪、今日は返さなくても世界は終わらない。
そんなふうに“私の生活を守る判決”を、こっそり自分に出していきたい。
最後に、問いかけをひとつだけ。
この冬、あなたが“上げなくていい”と許可を出したいものって、何だろう。
それを決めたら、少しだけ、寒さの中で呼吸が楽になる気がする、きっと。





