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仕事帰りの夜を整えるドイツビール飲み比べ時間と静かなご褒美習慣

ビール
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ひとりの夜が好きになるドイツビールセットと心をほどく晩酌時間

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玄関のドアを閉めた瞬間、外の冷たさが一気に切れて、部屋の中だけが「ぬるい夜」になった。コートの肩が少しだけ重くて、手袋を外す手つきが雑になっているあたり、今日の私はたぶん、思ったより疲れている。

洗面台で手を洗って、鏡に映った自分の目が、まだ仕事の画面みたいにカクカクして見えるのが嫌で、照明をひとつだけ落とした。

今日の小さな出来事は、帰宅直前に届いた宅配便だ。インターホンが鳴ったとき、私はちょうど「あと一駅…」と頭の中でカウントダウンしていて、スマホに表示された不在通知のメッセージを見て、なぜか心臓がキュッとなった。

受け取りたいのは私なのに、受け取る体力が残っていないみたいで、ああ、今日ってそういう日だったんだな、と遅れて気づく。

再配達をお願いして、時間ぴったりに届いた箱は、思っていたよりずっしりしていた。段ボールの角がほんの少しだけ潰れていて、「中身、大丈夫かな」と言いながら、私は自分の心配の矛先を、瓶ではなく“今日の自分”に向けている。

わかってる、いちばん割れやすいのは中身じゃなくて、私の余裕のほうだ。

箱を開けると、ドイツの修道院醸造所で造られているという「ヴェルテンブルガー」のセットで、白ビール、ピルス、アッサム・ボックがそれぞれ入っていた。しかもこの6本セットは、白ビール2本・ピルス2本・アッサム・ボック2本という構成らしい。
白ビールは小麦由来の華やかな香りで、苦みがおだやかで飲みやすいタイプ。
ピルスはホップの香味と引き締まった苦みが特徴で、クリーンでクリスピー。


そしてアッサム・ボックは、濃色で、やさしい甘みとエスプレッソみたいな凝縮感があるらしい。
説明を読んでいるだけなのに、舌が勝手に想像を始めて、頭の中で静かな拍手が起こる。こういうとき、私はとても単純だ。

……と、ここまで書くと、すごく“いい夜”の始まりみたいだけれど、今日の主軸はそこじゃない。
今日は、私がいままであまり触れてこなかった感情――「もったいない、の裏にある“怖さ”」の話をしたい。

いちばん最初の一本を、なぜか選べない

冷蔵庫を開けて、瓶を並べて、まるで小さな展示会みたいに眺めた。白ビールは今日の気分に優しそうだし、ピルスはすっきりしていて“間違いがなさそう”。アッサム・ボックは、夜の深いところまで連れていってくれそうで、ちょっと怖い。

ここで私は、立ち止まる。
「どれから飲む?」って、ただそれだけのことなのに、急に選べなくなる。

本音を言うと、私はこういう“選ぶ”が苦手だ。失敗したくないから。
自分の好みが、誰かに見透かされるみたいで嫌だから。
そしてなにより、せっかくの特別を、雑に扱ってしまう自分が怖いから。

たぶん私は、ビールの味そのものよりも、特別なものを“特別なまま”扱えない自分にガッカリする瞬間を避けている。飲んでしまったら、箱は空になる。瓶は増えない。今夜が終わったら、明日が来てしまう。
それが、思っているよりずっと怖い。

「もったいない」は、節約の言葉みたいで、ずっと良い子っぽい。
でも私の「もったいない」は、たぶん“失うのが怖い”の言い換えだ。

結局、私はいちばん“安全そう”な白ビールを選んだ。上面発酵で、アルコール分は5度。


グラスは持っていないから、いつものガラスコップに氷は入れず、できるだけ丁寧に注ぐ。泡がふわっと立ち上がって、酵母が沈んでいると聞いていたから、最後に瓶をゆっくり回して、濁りを少しだけ混ぜた。自分でやっておいて「なんか通っぽいことしてる」と思う。恥ずかしいのに、嬉しい。


ひとりの夜が、急に“誰かの目”で曇るとき

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一口目は、想像していたより柔らかかった。香りがふわっと鼻に抜けて、苦みは確かにおだやかで、喉の奥が少しだけほどける感じがした。
なのに、私はなぜか途中でスマホを手に取ってしまう。

誰にも頼まれてないのに、写真を撮りたくなる。
誰に見せるわけでもないのに、見栄えを整えたくなる。

テーブルの上の生活感――開封した郵便物、仕事の資料、まだ畳んでいないタオル――そういうものを、画角から避ける手つきが、すごく嫌だった。私は今、ひとりで飲んでいるのに、“ひとりで飲む自分”を他人の目で監視している。

「この部屋、散らかってるな」
「この時間に飲むの、だらしないかな」
「一人で瓶ビールって、寂しい人に見えるかな」

本当は、誰にも言ってないけど、私はこういう瞬間にいちばん疲れる。
他人は見ていないのに、勝手に他人を連れてきて、勝手に採点を始める自分に、毎回うんざりする。

わかる…って思ってくれる人がいるなら、その人にだけこっそり言いたい。
「ひとりって自由なのに、ときどき“自由の使い方”を誰かに見せたくなるの、めんどくさいよね。」

私はスマホを伏せて、湯気の立たない部屋の静けさを、いったんちゃんと受け取ることにした。BGMも流さない。テレビもつけない。
冷蔵庫のモーター音と、遠くの車の音と、瓶がテーブルに触れる小さな音だけ。

二本目に、ピルスを開けた。黄金色の下面発酵で、ホップの香味がクリーン、苦味指数(IBU)32と書かれていて、数字が急に理屈っぽい。
一口目、確かに苦い。だけど、嫌な苦さじゃなくて、口の中が「はい、目が覚めました」って言うみたいな苦さ。

その苦さで、私は思い出した。
今日、仕事で“早く答えを出す”ことばかりしていた。

上司の質問に、最適解っぽい返事を返す。
取引先のメールに、角が立たない文章を返す。
同僚の愚痴に、ちょうどいい相槌を返す。
全部、“正解っぽい”を急いで提出して、日が暮れた。

そして夜になっても、その癖が抜けない。
「このビール、好き?嫌い?」
「私はどれが合う人?」
「この夜をどうまとめる?」

そういう“答えの圧”が、喉の奥に残っている。ピルスの苦さは、むしろそれを洗い流してくれる感じがした。
苦いものって、遠回りで、すぐに甘くしてくれない。だからこそ、今日はちょっと助かる。

私はここで、今日のささやかな違和感に気づく。
「私は、味わうより先に、評価してしまう」っていう違和感。

味わうって、時間がかかる。
好きかどうかが決まるまで、保留の時間がある。
その“保留”を、私はずっと怖がっていたんだと思う。

濃色のボックに、いちばん言いたくない本音が沈む

最後に、アッサム・ボックを開けた。アルコール分は7.5度。
説明には、やさしい甘み、エスプレッソみたいな凝縮感、まろやかなコク、石造りのセラーで低温熟成、とある。
言葉だけで、すでに夜が深い。

グラスに注ぐと、色が“黒”じゃなくて“茶色”の複雑さで、光の当たり方で赤っぽくも見えた。飲む前から、もう静かに強い。
一口目、甘い。香ばしい。少し重い。でも、重すぎない。
この感じ、たぶん私は好きだ。

好きだ、と気づいた瞬間、胸の奥が少し痛くなった。
ここが、今日いちばん言いたくない本音の場所だ。

私、こういう“濃い”を好きだって言うのが、なんとなく怖い。
大人っぽいものを好きだと言うと、背伸びしてるみたいで。
重たいものを好きだと言うと、面倒な人みたいで。
「じゃあ、あなたってそういう人なんだね」って、ラベルを貼られるみたいで。

でも、本当は、ラベルを貼るのは他人じゃなくて、自分だ。
私は、自分の好みを決めるのが怖い。決めた瞬間、逃げ道がなくなる気がする。
いままで曖昧にしてきたものを、今夜の一口で確定してしまうのが、少しだけ怖い。

だから私は、もったいない、と言って、先延ばしにしてきた。
大事なものは“あとで”。
特別は“そのうち”。
自分の好きは“まだ決めない”。

でも、アッサム・ボックのコクは、そんな私の言い訳を、すごく静かに溶かした。
大事なものを後回しにしても、結局、時間だけが先に飲まれていく。飲むのはビールじゃなく、こっちのほうかもしれない。

後半の小さな気づきは、たぶんこれだ。
「特別を守るつもりで、私は特別から逃げていた。」

逃げていた、と書くと、ちょっと大げさだけど。
でも、今日の私は、一本目を選べなかった自分をちゃんと見た。


写真を撮ろうとして、生活感を隠したくなった自分をちゃんと見た。
“答え”を急いで、味わう前に評価していた自分をちゃんと見た。

それだけで、何かが急に良くなるわけじゃない。
明日も、私はたぶん、正解っぽい返事を急いでしまう。
冷蔵庫を開けて、どれにしようって迷う夜も、また来る。

でも今夜は、濃色のボックを飲みながら、少しだけ“保留”の時間を許せた。
好きかどうかを、すぐ決めなくてもいい。
うまく言葉にできなくてもいい。
ただ、味が口の中で変わっていくのを、追いかけていけばいい。

飲み終わった瓶を流し台に置くと、カラン、と軽い音がした。
空になったことが、ちょっと寂しい。だけど、さっきまでの“怖さ”とは違う寂しさだ。
寂しいけど、ちゃんと終われた、みたいな。

今夜の結論を、無理に立派にしないで終わりたい。
ただひとつだけ、問いかけを残すなら――

あなたは、もったいないって言いながら、ほんとは何から逃げてる?


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