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ダイエット記事を読んだだけで、なぜか一人分の夕食が寂しく感じた夜

くつろぐ女性
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今日のダイエットニュースを見て、私の「食欲」より先に寂しさが反応した話

くつろぐ女性

1月22日。窓の外は、冬の空気が薄いガラスみたいに張りついていて、換気のために少しだけ窓を開けた瞬間、部屋のぬくもりがすうっと抜けていった。こういう夜って、暖房の数字を上げても、なんだか心の体感温度だけは上がらない。仕事の帰りに買った豆腐と、冷蔵庫で中途半端に余っている野菜を見て、私は一度だけため息をついた。料理する元気があるような、ないような。食べたいような、食べたくないような。お腹って、意思決定の担当者としては、ほんとに気分屋だ。

ソファに沈んで、スマホを開く。いつもの流れでYahoo!を開いた。今日話題になっているダイエットのニュース、というより、私が今日たまたま引っかかったのは“ダイエットという言葉が、すごく明るく、軽く、誰かと一緒にいる前提で流れてくる”感じだった。

スポーツナビのコラムで、「彼の胃袋をつかもう! 食べ応えも大満足なダイエットレシピ」みたいな見出しが目に入った。内容は、ボリュームがあるのにヘルシーに仕上げる工夫や、見た目も満たすコツが紹介されていて、なるほど、こういう“続けられるダイエット”って大事なんだろうなとは思う。思うんだけど――その瞬間、私の中に別の感情がすっと立ち上がった。

「彼」って、誰のことだっけ。
私の冷蔵庫には、胃袋をつかむ相手はいない。つかむとしても、自分の胃袋だけ。しかもその胃袋、ちょっと疲れてる日はすぐ機嫌を損ねるし、夜中に甘いものを要求してくるし、説得がむずかしい。なのにニュースの世界では、ダイエットはなぜか“誰かのために頑張るもの”として語られることがある。私が反応したのは、レシピそのものじゃなくて、その前提だった。

今日、私が主軸にしたいのは「痩せたい/痩せたくない」じゃない。もっと地味で言いにくい、今まであまり書いてこなかった感情――「ダイエット情報の中に、自分の生活が存在しないみたいで、ちょっとだけ疎外感を覚える瞬間」だ。痩せる話でも、食事管理のコツでもなく、“誰がそこに想定されているか”で心が揺れた日の話。

今日起きた小さな出来事:コンビニのスープで、夕食を終わらせた

本当は、豆腐で湯豆腐でもして、野菜も一緒に煮て、ちゃんとした夜にしたかった。でも帰宅してからの私は、まるで充電が1%のスマホみたいで、画面はつくけどアプリが開けない状態だった。

結局、私は冷蔵庫の前で数秒固まって、昼に買って残っていたカップスープを手に取った。レンジで温めて、スプーンで混ぜて、ソファの端で飲んだ。味は普通においしい。体も温まる。でも、食事というより“作業”に近かった。あの、何を食べたか記憶に残らない感じ。お腹は満たされるのに、心は満ちない感じ。

そのとき心の中で浮かんだ、誰にも言わなかった本音がある。
――ダイエットって、誰かと暮らしている人の方が、うまくいく世界なのかもしれない。
いや、そんなことないって頭では分かってる。でも、ニュースの言葉が「彼」から始まると、なんとなく自分の生活が“サブ枠”になる。私は主役じゃないみたいになる。

この本音って、ちょっと情けない。痩せる痩せないの前に、私は“誰かがいる前提の世界”に勝手に傷ついている。自分で自分を傷つけるのが得意すぎて、もう特技欄に書けそう。

気持ちの揺れ:ダイエットは「健康」の話なのに、たまに「所属」の話になる

そのあとも、Yahoo!を流し見していて、別の記事で「玄米中心の和食を続けると腸内細菌叢に良い影響がある可能性」みたいな話題も目に入った。食事と腸内環境の研究って、最近よく聞くけど、これは“日本人向けの食事”という視点で紹介されていて、ちょっと面白かった。

玄米、いいよね。私もたまに炊く。だけど一人暮らしの玄米って、現実は「炊く→余る→冷凍する→冷凍庫の奥で化石になる」までがセットだったりする。健康を考えて始めたはずが、いつの間にか“管理できない自分”の証拠みたいに冷凍庫に残る。そういうのが、地味にしんどい。

それなのに、世の中のダイエット情報は、きれいな写真と、整った食卓と、誰かの「おいしい!」がセットになっていることがある。料理を作る手が止まりそうな夜に限って、そういう記事が目に入る。たぶんアルゴリズムは悪くない。私が悪い。私が“理想の生活”に弱い。

このあたりで、今日の違和感がはっきりしてきた。
ダイエット情報が刺さるのは、食べ方の工夫が必要だからじゃなくて、「ちゃんと暮らしている側に戻れる気がする」から。
私が欲しいのは、レシピより、体重より、もっと別のもの――“私は今も大丈夫”っていう感覚なのかもしれない。

そして、その感覚って、誰かの「彼のために」みたいな言葉からは、なぜか遠ざかる。私は誰かのために頑張れないわけじゃない。ただ、今夜の私は、自分のために頑張る余力が足りない。だからこそ、“誰かがいる前提”の文章が、やけに眩しい。眩しすぎて、目が痛い。

読者のあなたも、こういうのない?
体型の問題じゃなくて、生活が整ってない感じが恥ずかしくて、ダイエット記事を読んだあと余計に落ち込む夜。
「わかる…」って、声に出さないまま頷いたこと、きっと一度くらいあると思う。

今日だけの小さな気づき:私は“痩せたい”より先に、“生活の輪郭”がほしかった

くつろぐ女性

しばらくして、私はキッチンに戻った。玄米を炊く気力はない。でも、豆腐は使いたい。包丁を持つのが億劫だったから、野菜は切らない。鍋に水を張って、豆腐を入れて、だしを少し。ネギもない。薬味もない。笑えるくらい簡素な湯豆腐ができた。

それを食べながら、私は思った。
私に必要だったのは、「彼の胃袋をつかむ」華やかなダイエットレシピじゃなくて、“今日の私が続けられる一番小さい食事”だった。続けられるって、かっこいい継続じゃなくて、“やめないで済む程度に小さくする”って意味のほう。

たぶん、私は今まで、ダイエットを「結果」の話として受け取ってきた。痩せるとか、戻すとか、数字とか。でも今日のニュースを見て揺れたのは、そこじゃなかった。
私は“誰かがいる生活”を前提にした言葉に反応して、自分の暮らしを勝手に採点していた。
痩せたいからじゃない。置いていかれた気がしたからだ。

この気づきって、すごく小さい。たぶん明日にはまた忘れる。でも、忘れたくない気もする。だって、こういう“自分の生活が想定されていない感じ”って、ダイエットだけじゃなく、いろんな場面で起きるから。結婚、キャリア、貯金、休日の過ごし方。世界はずっと「誰かと一緒」を前提にして、私はその横を一人で歩く。歩けるけど、たまに寂しい。

そして、寂しいときほど、体のことを“改善”したくなる。体型を整えれば、生活も整う気がするから。でも本当は逆で、生活の輪郭が少し戻ると、体のことも落ち着く。今日の私は、湯豆腐でそれを思い出した。

あなたの「痩せたい」の隣にある、本当の気持ちは何だろう

くつろぐ女性

今日の私は、ダイエットニュースを見て、レシピをメモする代わりに、湯豆腐を作った。すごい努力はしていない。運動もしてない。体重計にも乗ってない。でも、ひとつだけ、前より誠実だった気がする。

“誰かのための理想”を追いかけるより、今夜の自分が続けられる小ささを選んだ。
それだけ。たったそれだけ。

もし、あなたが今日ダイエットのニュースを見て、急に胸がザワザワしたなら――それは本当に「痩せたい」だけなんだろうか。
それとも、誰にも見せていない生活の隙間が、少し寒かっただけなんだろうか。

今夜、あなたは何を食べましたか。
そして、その食事の横にいた“気持ち”は、どんな顔をしていましたか。

くつろぐ女性

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