玄関を整えたら気持ちが変わった話|金運アップ財布と一粒万倍日の小さな習慣

夜のコンビニの前、風がやたら冷たくて、コートの襟を立てた。22時すぎ。スマホの画面だけが白く明るくて、私の顔をちょっとだけ“疲れてる人”に見せる。レジ横のホットスナックの匂いが、空腹じゃなくても心をゆるませるのはずるいと思う。
今日、うまくいかなかったことがある。大きな失敗じゃない。むしろ誰にも話さないくらい小さい。けど、私の中では「まただ」って音がした。
帰り道、既読のつかないLINEを何度も更新して、仕事で言えなかった一言を、帰宅してから頭の中で再上映して、最後に自分だけが観客で、最後に自分だけが傷つくやつ。
コンビニの前で立ち止まったのは、家に帰るのが嫌だったからだと思う。ドアを開けたら、部屋の静けさが待ってる。静けさって、整うと気持ちいいのに、今日は“問い詰める顔”をしている気がした。
そのままスマホで、意味もなくスクロールしていたら、「大安」「一粒万倍日」とか、見慣れた言葉が流れてきた。最近、SNSのおすすめがやたら“運気”を推してくる。私が弱ってるのを、アルゴリズムは知ってるのかな。
そこで、ふと、前からブックマークして放置していたサイトを開いた。
「カンタン風水グッズと開運情報ポータル『ラッキーショップ』」。開運とか縁起とか、そういう言葉を本気で信じてるわけじゃない。けど、信じきれない自分を守るために、ちょっとだけ“信じるフリ”をしたくなる夜がある。
うまくいかなかった日の、逃げ場所としての「運」

今日の“うまくいかなかったこと”は、たぶん私のプライドの話だ。
職場で、誰かに仕事を振られたときに、ほんとは「今は手がいっぱいです」って言いたかった。でも言えなくて、笑って「大丈夫です」って言った。言い終わった瞬間に、心が一段沈んだ。
その沈みが、帰りの電車でじわじわ効いてきて、家に着くころには「私って、いつもこうだな」って雑な自己評価になってた。
疲れてるとき、私は“理由がほしい”。自分がうまくできないのは、性格のせいでも能力のせいでもなくて、たまたま巡り合わせが悪かった、みたいな。
運という言葉には、責任から少しだけ逃げられる余白がある。逃げていいのかは分からない。でも今日は、その余白がほしかった。
ラッキーショップのトップページを眺めると、カテゴリが並んでいた。九星、風水、置物、財布、ブレスレット、ペンダント、護符。言葉の並びだけで、ちょっとした“別世界”に引っ越した気分になる。
そして、サイトの空気が、押しつけがましくないのが意外だった。もちろん、開運って言葉は強い。だけど「身近に風水を取り入れて運気をアップしましょう」とか、玄関は気の入り口だから大事、みたいな説明が、生活の話として書かれている。
玄関、たしかに最近、靴が散らかってる。郵便物も積んである。運気以前に、私の心が散らかってる。
ページの途中に「金運吉日カレンダー」のリンクがあって、つい押してしまった。縁起の良い日を選ぶ、という習慣は、正直かわいいと思う。だって、明日がちょっと良くなるかもしれないって、カレンダーにお願いしてる感じがするから。
私も、手帳に「生理予定日」とか「〆切」とか「支払い日」ばっかり書いていて、そこに“いい日”を足す余裕がなかったな、と気づいた。
でもね、ここで矛盾する。
私は「運気を上げたい」と思いながら、同時に「そんなのに頼っても変わらない」とも思っている。頭の中で、二人の私が腕組みして立ってる。片方は現実派で、片方は泣きそうな顔をしてる。
ラッキーショップには、風水鏡や風水画、金運を願う置物、財布、アクセサリーなど、いろいろな“気軽に始められる”アイテムがあると書かれていた。たとえば「風水鏡」「風水画」、招き猫やだるま、長財布やミニ財布。
「気軽に始められる」って言葉に、私は弱い。努力も根性もいらない、ただ置くだけ、持つだけ、飾るだけ。そんなの、ずるいくらい優しい。
実際、口コミ欄には、ブレスレットを身につけてから「臨時収入がちょこちょこ」みたいな体験談が載っていた。もちろん、その下には「個人の体験談であり、科学的効果を主張するものではありません」と注釈がある。そこが、逆に信じられる気がした。嘘っぽいのに、嘘って言い切らない。期待させるのに、責任を取りすぎない。
私は思う。開運グッズって、当たる当たらないの前に、「自分の暮らしをちょっと整えたくなる装置」なのかもしれない。
玄関用のだるまを飾る前に、玄関を掃除したくなる。財布を買ったら、中身を整理したくなる。そんなふうに、生活のスイッチを入れるための、かわいい言い訳。
だけど今日の私は、言い訳が多すぎる日だった。
「忙しかったから」「気を遣ったから」「私が我慢すれば丸く収まるから」。
その延長で「運が悪かったから」と言いたいのは、なんだか、自分に失礼な気もする。
買う前の指先で、すでに運を試している

私は結局、何も買わなかった。
買い物かごに入れて、出して、また入れて、ページを閉じた。
たぶん、買うのが怖かったんだと思う。もし買って、何も変わらなかったら、「やっぱり私って」って落ち込むから。もし変わったら変わったで、「自分の力じゃないみたい」で、ちょっと悔しいから。
どっちに転んでも、私のプライドがこすれる。
それに、私にはもう一つの“うまくいかなかったこと”がある。
最近、頑張ってるつもりなのに、結果がついてこない。仕事でも、恋愛でも、自分磨きでも。ちゃんとやってるのに、ちゃんと報われない。
報われないと、心の中で「努力の配当」が不良債権みたいに積み上がる。
そこに開運グッズを足すのは、投資先を増やすみたいで、怖い。
でも、ページを眺めていると、店長の挨拶があった。
創業より30年以上、縁起雑貨を届けてきたこと。縁起雑貨を通して「幸運体験」を感じてもらえるように商品開発をしていること。そう書かれていた。
“幸運体験”。この言葉、なんだかやさしい。幸運を「保証」するんじゃなくて、「体験」って言う。体験なら、私の中で起きることだから。
たとえば、玄関に鏡を置いて、毎朝そこを拭く。トイレに風水画を飾って、入るたびに深呼吸する。財布を新調して、レシートを溜めない。ブレスレットをつけて、手首を見るたびに「大丈夫」って思う。
それって、運が上がったかどうかより、私の“自分への扱い”が変わっていくことに近い。
私は、運を上げたいというより、「私が私を雑に扱うのを、やめたい」んだと思う。
今日、仕事で言えなかった一言も、既読のつかないLINEも、根っこはそこだ。
相手に嫌われたくないとか、空気を壊したくないとか、そういう理由の裏で、「私の気持ちは後回しでいい」って、どこかで決めてしまってる。
開運って、もしかしたら「私の気持ちを、玄関の真ん中に置く」みたいなことなのかもしれない。
気の入り口は玄関、っていう話を読んで、私は自分の心の玄関を想像してしまった。
靴が散らかって、郵便物が積んであって、誰が来ても招き入れられない。そんな玄関に、幸運は入りづらいよね、って。幸運どころか、私自身が入れない。
とはいえ、私はまだ、何かを変える勇気がない。
掃除も、買い替えも、決意も、全部「明日から」で逃げたい。
だから今夜は、せめて“選ぶ”だけでいいことにする。
「縁起の良い日」を見つけて、その日に何か小さなことを始める。たとえば靴箱の上を拭くとか、財布の中身を見直すとか。カレンダーに、支払い日じゃない予定を書いてみる。
そういう小さなことなら、運のせいにしなくてもできる気がする。
でも、もしそれができたら、運が上がったことにしてもいい気がする。
自分の努力を、運と呼んで甘やかしてもいい夜がある。
部屋に帰ったら、テーブルの上に未開封の宅配便があって、鏡みたいに私の“後回し癖”を映していた。袋の中は、先週ポチったリップ。似合うかどうかより、「これなら元気になれる気がする」で買ったやつ。結局まだ開けてない。
開運グッズと何が違うんだろう、と一瞬思った。リップは現実的で、護符は非現実的、みたいな顔をして。でも、どっちも「明日の私を助けるかもしれない」という祈りで買ってる。
ラッキーショップのページをもう少し眺めていたら、役目を終えた縁起物を正しく供養する「清祓いサービス」があることを知った。縁起物って、買うときは軽いのに、手放すときは急に重くなるから、こういう“終わらせ方”が用意されているのは、ちょっと安心だった。
私も、終わらせ方が下手だ。関係も、仕事も、期待も。「もういいや」って投げるより、「ありがとう」って畳めたら、運って変わるのかな。
それから、メルマガ登録でポイントがもらえる、みたいな案内もあって、現実がちゃんと混ざっているのが笑えた。開運とポイントって、相性がいい。だってポイントって、目に見える“得”だから。見えない幸運より先に、まず得したい私がいる。
この欲深さを、私は嫌いになれない。欲があるから、明日も生きるんだと思う。
恋愛のことも、少しだけ。
既読がつかないLINEは、別に大事な用件じゃなかった。今日あった小さな出来事を、ただ共有したかっただけ。けど返信がないと、「私の話って、そんなに優先度低いんだ」って勝手にしょんぼりする。
こういうとき、私は“運命”って言葉に逃げたくなる。合う人なら、ちゃんと返してくれるはず、みたいに。だけど本当は、ただ私が「さみしい」って言えないだけ。
開運グッズを探しているふりをしながら、私はずっと、さみしさの出口を探していたのかもしれない。
だから、買わなかったのにページを閉じられなかった。
信じるか信じないかじゃなくて、私が私に「もう少し丁寧に扱っていいよ」って許可を出すために、ああいう世界が必要なときがある。
今夜はまだ、答えを出さない。
運のせいにも、努力のせいにも、恋のせいにも、しきれないまま。
ただ、明日の朝、玄関の靴を一足だけ揃えてみる。
それができたら、私はきっと、少しだけラッキーだ。
(締め)
買わなかったのに、少しだけ心が軽くなったのは、たぶん“私の中の玄関”に、明かりがついたから。





