MENU

甘い物が来る日に限って心が揺れる理由と、好意を受け取れない私の静かな違和感

  • URLをコピーしました!
目次

痩せたい日ほど甘い物が来る――「受け取れない私」の話

食事をする女性

朝、カーテンの隙間から入ってくる光がやけに白くて、冬の終わりのふりをした冷たさが部屋の床にだけ残っていた。起き上がる前にスマホを手に取って、通知の数を見て、何となくため息をつく。別に嫌な知らせがあったわけじゃないのに、「今日こそ整えたい」と思う日ほど、胸の奥に薄い焦りみたいなものが張り付いている。


目覚ましの音に勝ってしまった朝は、たいてい自分を過信する。今日はきっと、うまくやれる。洗濯も回せるし、返信も溜めないし、仕事だって静かに片づけられる。そうやって、まだ始まってもいない一日を、先に“良い日”として採点してしまうのが私の癖だ。

部屋の片隅に置いたままの段ボール、洗っていないマグ、読みかけの本の栞の位置。ひとつひとつは些細なのに、全部合わせると、私の生活は“重い”。

それが急に気になって、朝から妙にキビキビ動いてしまう。シンクを磨いて、床をクイックルでさっと撫でて、冷蔵庫の中の期限切れになりそうなものを捨てて、気づけば「軽くなりたい」のスイッチが入っていた。


ここで言う“痩せたい”は、体重計の数字の話というより、もっと曖昧で、でも切実なやつ。予定も感情も、他人への気遣いも、部屋の湿気みたいな疲れも、できれば一枚脱いで出かけたい。コートの下で、心までモコモコしている感じが嫌で、今日は少しでも身軽になりたかった。

通勤電車の中で、隣の人のイヤホンから漏れたシャカシャカ音と、吊り革がきしむ音が混ざって、朝の私はそれだけで少し消耗する。ふと、鏡代わりの窓に映る自分を見て、顔が「やる気」より「警戒」に寄っているのが分かった。


痩せたい日って、こういう日だ。何かを削って、削って、余白を作ろうとする日。削った分だけ静かになれると信じている日。

痩せたい日ほど甘い物が来る、って、あれは本当に体型の話だけじゃない気がする。
なんというか、「余計なものを手放したい」「ここから先は、シンプルに行きたい」みたいな日ほど、甘い物=やさしさとか誘惑とか、そういうものがやってくる。しかも、こちらの心の防御が一番薄いタイミングで。


そして厄介なのは、甘い物って、たいてい“善意”の顔をしてやってくるところだ。断りにくいし、断ったあとも、なぜか自分だけ後味が悪い。

1つ目の出来事:机の上に置かれた小さな箱

瞑想をする女子

午前中、仕事は淡々と進んでいた。会議も少なくて、チャットも静かで、珍しく自分のペースで片づけられる日。こういう日に私は調子に乗る。


「今日は余計なことに振り回されずに終われるかも」って、心の中でこっそり点数をつけ始める。しかも高得点で。

昼前、席を立って給湯室に行って戻ってきたら、私のキーボードの横に、小さな紙箱が置いてあった。白地に淡い色のリボンが描かれている、あの“ちゃんとしてるお菓子”の箱。


隣の席の先輩が、目も合わせずに「さっき差し入れ、回ってきたから」とだけ言った。
それ以上は何もなくて、ただ箱だけが、静かにそこにいる。机の上で、存在感だけがきちんとしている。

ふたを開けなくても分かる。多分、フィナンシェとか、バターの匂いがするやつ。食べたらおいしい。たぶん、機嫌も少しだけよくなる。


でも、その瞬間に私の頭に浮かんだのは「うわ、来た」だった。
甘い物が“来た”というより、私が今日こそ軽くなろうとしているところに、まるで狙い澄ましたみたいに「甘さ」が差し込んできた、という感じ。

誰にも言わなかった本音は、もっと情けない。
「今じゃない……今日の私は、いろいろ手放す気でいたのに。私の“軽くなりたい”に、なんで甘さを投げ込むの」
もちろん先輩は悪くない。差し入れなんて、むしろ優しさのかたまりなのに、私はそれを“障害物”みたいに感じてしまった。
そして同時に、自分の心の狭さにうっすら腹が立った。


こういうとき、私は自分に二重でがっかりする。ひとつは、素直に喜べないこと。もうひとつは、喜べない自分を責めて、さらに重くなること。

箱を見つめながら、私は変な計算をしていた。
「食べたら気が緩む。今日は整えたいのに」
「でも、食べなかったら感じ悪い?」
「持ち帰って夜に食べればいい?」
「そもそも、もらった時点で“返さなきゃ”って気持ちになるのが嫌」
たった数個のお菓子なのに、頭の中の会議室が満席になる。

ここで、私の中の“甘い物問題”が、ただの糖分の話じゃないと気づく。
私は、好意を受け取るのがあまり得意じゃない。


「ありがとう」で終わらせればいいのに、その次にすぐ「私も何か返さないと」「返せないなら受け取る資格がない」みたいな感覚が、勝手に出てくる。


子どもの頃から、“もらう”より“あげる”ほうが楽だった。あげる側にいれば、主導権がある気がするから。受け取る側に回ると、急に不安になる。相手の期待に応えられないかもしれない、という不安。

たぶん、優しさって、私にとって“荷物”になりやすい。
荷物って、重いと感じた瞬間に、持ち方が下手だと分かる。


でも下手って、恥ずかしい。だから私は、上手なふりをして、平気そうにして、内側で必死にバランスを取る。
そう思うと、自分の中にある“受け取りの下手さ”が、今日はやけに目立った。

読者の誰かが「わかる…」って言ってくれそうなのは、これ。
好意って、受け取るだけで済むはずなのに、なぜかこちらの心の会計が急に忙しくなる日がある。しかもレジの列が長い。

2つ目の出来事:コンビニの棚で目が合った期間限定

昼休み、外に出るほどではないけど、空気を変えたくてコンビニに行った。オフィスの廊下は空調が効きすぎていて、頬のあたりだけ乾く。冬って、身体の水分も気持ちの余裕も、こっそり持っていく。


本当はお茶だけ買って戻るつもりだったのに、スイーツ棚の前で足が止まった。
新作のシール、期間限定、数量限定。甘い物の世界はいつも“今しかない”を武器にしてくる。ずるい。しかも、ああいう言葉に弱い自分も、ちょっとずるい。

「今日は軽くなりたい日なんだってば」って自分に言いながら、私は棚を見ていた。
そのとき、ふと、さっきの箱のことが頭に戻ってきた。


会社の机の上の箱と、目の前のスイーツ棚。
どっちも甘い。どっちも“来てる”。そして私は、どっちにも身構えている。
身構えているくせに、目は離せない。これがいちばん情けない。

ここで、もうひとつ誰にも言わなかった本音が出てくる。
「私、甘い物が嫌なんじゃなくて、“揺れる自分”が嫌なんだ」
決めたのに揺れる。整えたいのに誘惑される。まっすぐ進みたいのに横道が光って見える。


そういう自分を、私はいつも少しだけ見下している。


そして、見下しているのに、また同じことを繰り返す。自分で自分を扱いきれていない感じが、いちばん嫌。

でも、その見下しが、今日の私を余計に疲れさせていた気がする。
揺れるのは人間として普通なのに、私は揺れるたびに「意志が弱い」とか「締まりがない」とか、勝手に自分へ悪口を投げている。


甘い物が来るから揺れるんじゃなくて、揺れることを許せないから、甘い物が“敵”になる。


しかも敵にした瞬間に、なぜか甘さの輪郭がくっきりして、いっそう魅力的に見える。皮肉。

コンビニでは結局、お茶だけ買って帰った。勝った気がして少しだけ嬉しい。
でも、勝ち負けをつけた時点で、もう私の中は小さな戦場になっている。


それもまた、なんだか疲れる。勝っても疲れるって、何のゲームなんだろう。

午後の途中、友達から「今度ごはん行こ〜」って軽いメッセージが来た。画面の文字が可愛くて、ちょっと救われた。
でも私はすぐ「ごはん行きたい。けど最近余裕ない。断ったら悪いかな」って考えてしまう。ここでもまた、好意を荷物にしている。
甘い物だけじゃない。誘いも、言葉も、気遣いも、全部同じ場所に置いてしまう癖がある。

今日だけの気づき:「断る」のではなく「受け取り方」を選ぶ

女性

夕方、席に戻って、あの箱はまだ机の上にいた。
私は、ふたを開けた。フィナンシェだった。予想通り。バターの匂いもした。
それを見て、妙に安心した自分がいた。


“未知の甘さ”じゃなかった、っていう安心。そこ?って感じだけど、今日の私はそういう細いところに反応する。知らないものは、受け取りづらい。知ってる甘さなら、まだ持てる。

そして、私はひとつだけやってみた。
食べるか食べないか、ではなくて、「受け取り方」を選ぶ、という小さな実験。

箱の中の一つを、すぐ食べるのではなく、紙ナプキンに包んで引き出しにしまった。


次に、先輩のところへ行って、短く「ありがとうございます。うれしいです」と言って、それ以上の説明もしなかった。
“返さなきゃ”の計算を始める前に、会話を終わらせた。


私はいつも、説明してしまう。「最近ちょっと控えてて…」とか「後でいただきます」とか、相手の好意を軽くするための言い訳を添える。でも今日は、言い訳をしなかった。受け取る側に立つ練習を、ほんの数秒だけした。

不思議だけど、それだけで、甘い物が“敵”じゃなくなった。


先輩の好意も、私の整えたい気持ちも、どちらも否定せずに同じ机の上に置ける気がした。
受け取るって、丸呑みすることじゃないんだ。


自分のペースで、持てる形に整えてから、手元に置けばいい。

帰り道、駅までの歩道で、風が強くて前髪がぐちゃぐちゃになった。こういうとき、私はいちいち機嫌が揺れる。ほんと面倒な仕様。


でも今日は、揺れてもいいと思えた。揺れたまま歩いて、揺れたまま帰ればいい。きれいに整っていない自分を、いちいち否定しない。


家に着くころには、朝の「整えたい」が少しだけ丸くなっていた。角が取れたというより、握りしめる手がゆるんだ感じ。

夜、帰宅してコートを脱いだら、部屋は朝より少しだけ軽く見えた。片づけたから、だけじゃない。


仕事終わりにスーパーに寄って、野菜コーナーで立ち止まったとき、私は突然「今日は何かを増やさなくてもいい」と思った。新しいルールも、新しい習慣も、今日の私は要らない。


足りないものを埋めるより、すでにあるものをちゃんと持つ。今日は、そのほうが“軽い”気がした。

夕飯を作る前に、引き出しからフィナンシェを出して、テーブルの端に置いた。
食べる前に、なぜか一度だけ匂いを嗅いだ。変な人。でも、匂いって、気持ちをほどく。
口に入れた瞬間、ちゃんとおいしかった。


それだけなのに、今日は少しだけ救われた感じがした。
甘さって、私を甘やかすためだけにあるんじゃなくて、私が息をするために差し込む隙間でもあるのかもしれない。

ただ、ここで「だから甘い物は最高!」みたいな結論にはしたくない。
だって私は明日また、同じように身構える気がするし、また勝手に計算を始める気もする。


それに、受け取り下手って、たぶん一夜で直らない。直るというより、付き合い方を覚えるものだと思う。
でも今日の私は、少なくともひとつ気づいた。

甘い物が来る日は、私の中で“受け取り下手”が露呈する日でもある。
そして、その下手さは、直すべき欠点というより、生活の癖みたいなものだ。


癖なら、矯正するより先に、扱い方を覚えたほうが早い。
受け取れない自分を叱るのではなく、「今は重く感じてるんだね」と実況するだけで、少し楽になる。

あなたにも、整えたい日ほど、甘い物がやってくる瞬間ってありますか。
その甘さを、敵にしますか、それとも自分のペースで持てる形にしますか。


私はたぶん、明日も迷うけど、今日のフィナンシェの匂いだけは、少し覚えておこうと思う。
甘い物が来るたびに戦うんじゃなくて、受け取り方を選べる日が、たまに増えたらいい。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次