ドキドキより「安心・楽・無理しない」に惹かれるようになった夜の話

今朝の天気は、晴れているのにどこか白っぽくて、窓の外が“ちゃんと明るい”はずなのに、気持ちだけ少し置いていかれていました。冬の空って、きれいなんだけど冷たくて、見上げるたびに背筋がすっと伸びる代わりに、肩も同じくらい固まる。
起きてすぐ、マグにお湯を注いで白湯を作って、キッチンの足元で寒さに負けながらスマホを見た瞬間、通知が一個だけ光っていました。誰からでもない、ただのニュースアプリの通知。なのに、私は反射的に「……連絡じゃないんだ」って思ってしまって、ちょっと笑いました。朝から何を期待してるんだろう、って。
今日の小さな出来事は、本当に小さいです。
仕事帰り、最寄り駅の改札を出て、コンビニに寄るかどうか迷って、結局寄らずに帰って、マンションのエントランスでポストを開けたら、見慣れた筆跡のはがきが一枚入っていました。学生時代の友だちからの結婚報告とか、そういうビッグニュースじゃなくて、ただの年賀状の返事みたいな、軽い近況。
そこに書かれていたのは、「最近どう?恋愛してる?」という、あまりにも軽い、でも胸の奥に小さく刺さる一行で、私はエントランスの冷えた空気の中で、しばらくその紙を握ったまま動けなくなりました。
恋愛してる?って聞かれたら、私はいつも、答えに困ります。
“してる”と“してない”の間に、私の生活はいつも半分くらい散らばっていて、片づけたいのに片づかないクローゼットみたいに、どこに何があるのか自分でも把握できていない。
それでも昔は、恋愛ってもっと分かりやすいものだと思っていました。好きか嫌いか、会いたいか会いたくないか、連絡が来たら嬉しいかどうか。そういう二択で測れるものだって。
でも今日、そのはがきを片手に、エレベーターの鏡に映った自分を見たとき、ふと気づいたんです。
恋愛の優先順位が、いつの間にか、二十代の頃とはまるで違う場所に移動していたことに。
「刺激がある=幸せ」だと思い込んでいたころ

二十代のころの私は、恋愛の中にある“刺激”を、妙に大切にしていました。
相手からの返信が遅いと、心臓が勝手に走り出して、「嫌われた?」って考えすぎて、夜中に意味のないSNSをスクロールして、結局眠れなくなる。そういう時間さえ、どこかで「恋してるっぽい」って思っていた節がある。
ドキドキするのが恋愛、胸がざわざわするのが恋愛、予定が振り回されるのが恋愛。今思えば、だいぶ雑な定義です。
当時の私は、「連絡がマメな人は重いかも」とか、「優しすぎる人は物足りないかも」とか、口ではそれっぽいことを言いながら、実際は“感情のジェットコースター”を恋だと勘違いしていただけかもしれません。
熱があるときって、体がしんどいのに、なぜか「生きてる」感じがするじゃないですか。あれに近い。平熱だと、逆に不安になる。
たぶん私は、平熱の恋愛を“退屈”と呼んで逃げていたんだと思います。
今日、エレベーターの鏡の中の私は、疲れていて、目の下が少し重たくて、コートの襟に髪が挟まっていて、可愛げも何もない顔をしていました。
そんな顔の私が、ポストのはがきを見ながら最初に思った本音が、これです。
「もう、ドキドキで消耗したくない」
声に出したら少し冷たい言葉に聞こえるから、誰にも言わないでおこう、って思いました。
でもこれは、恋愛が怖くなったとか、恋を諦めたとか、そういう大きな話じゃなくて、ただ単純に、私の体力が、昔ほど無限じゃなくなった、というだけの話でもあります。
「好き」の中に、生活の重さが混ざってきた
部屋に帰って、電気をつけて、コートを脱いで、手を洗って、冷蔵庫を開ける。
この一連の流れの中に、私は確実に“生活”を背負っています。二十代の頃は、生活ってもっと軽かった。重いものは未来に置いてきて、今だけで走れた。
でも今は、仕事の締切も、貯金の残高も、親の体調の話も、友だちの結婚式のご祝儀の予定も、全部が同じトレイに載っていて、私はそれをこぼさないように歩いている感じがする。
だから、恋愛がそこに入ってくるとき、私は自然と“無理がないか”を見てしまう。
会うために睡眠を削らないといけない関係は、たぶん長く続かない。
相手の機嫌を取るために言葉を選びすぎる関係は、心が擦り切れる。
一緒にいるときに笑ってるのに、家に帰るとどっと疲れる恋は、私の生活を少しずつ壊していく。
こういうことを考えるのって、ちょっと現実的すぎて、恋愛が“夢”じゃなくなる感じがして、前は嫌でした。
「好きならなんとかなる」と言い切れる人が、まぶしかった。
でも今日の私は、白湯みたいなぬるい気持ちで、こう思っています。
「好きでも、なんとかならない日がある」
そしてその“なんとかならない日”を、二人で責め合わずにやり過ごせる関係のほうが、今の私には魅力的に見える。
これは、私が大人になったから偉い、とかじゃなくて、たぶんただ、失敗してきた回数が増えただけです。
恋愛でボロボロになった翌日、普通に出社して、普通に笑って、普通に仕事を回して、普通に疲れて、普通に帰る、っていう現実を何度もやったから。
あれを何度も繰り返すと、人は学ぶというより、身体が先に覚えます。危険を回避する動物みたいに。
「わかる…」って、誰かに言ってもらえたら救われる種類の疲れが、恋愛にはあるんですよね。
恋愛が原因なのに、恋愛の話として扱ってもらえない疲れ。仕事の疲れのふりをして、ひとりで飲み込む疲れ。
「安心」は、手抜きじゃなくて、選び直しだった

はがきの「恋愛してる?」の一行に、私は返事をまだ書けていません。
でも今日の私は、昔みたいに「してるよ!ドキドキしてる!」とは言えないし、かといって「してない」と言い切るほど、心が空っぽでもない。
その曖昧さが、少しだけ恥ずかしい。大人なのに、って思う。
でも同時に、その曖昧さの中で、私は静かに選び直しているんだと思います。
“恋愛の優先順位が下がった”というより、順位の付け方が変わった。
昔は、恋愛が上位に来ると「私、ちゃんと生きてる!」って感じがして、それが嬉しかった。
今は、恋愛が上位に来ると、ちょっと怖い。自分の生活の土台が揺れる気がするから。
だから私は、恋愛を生活の上に乗せたいというより、生活の中に、無理なく置きたい。
安心できる相手って、つまらない人じゃなくて、むしろ“余計な不安を増やさない人”なんだと、ようやく分かってきました。
連絡が来るか来ないかで一日が左右されない。会えない週があっても、疑わない。眠れない夜に、理由の説明を求めない。
そういう「何もしない優しさ」って、派手じゃないけど、じわじわ効いてくる。
二十代の私は、それを“手抜き”だと思ってた。
でも今の私は、それを“信頼”って呼びたい。
今日の出来事が小さかったからこそ、気づけたことがあります。
ポストの前で立ち止まった私が、恋愛に求めるものを言葉にしようとしたとき、最初に出てきたのは「ドキドキ」ではなくて、「楽」でした。
“楽”って、恋愛の理想としては、あまりキラキラして聞こえない。
でも生活をしている私にとって、“楽”は最高に大事な要素です。
楽な関係って、努力しなくていい関係という意味じゃなくて、努力の方向が「無理をする」じゃなくて「整える」になっている関係。
私はたぶん、恋愛の中で頑張ることに慣れすぎていました。
可愛くいよう、楽しくいよう、重くならないようにしよう、嫌われないようにしよう。
それって結局、相手のためというより、“恋愛している自分”を成立させるための頑張りだったのかもしれない。
それをやめたい。やめてもいいと思えるようになった。
その変化が、今日の私の中でいちばん大きい。
返事を書かないまま、私は一度だけスマホの連絡先を開いて、昔の「ドキドキ枠」だった人たちのトーク履歴を眺めました。
夜中に急に呼び出されて、嬉しいふりをしてタクシーで会いに行った日。相手のテンションに合わせて、ほんとは食べたくないものを「美味しい!」って言った日。既読がつかない数時間を、仕事中もずっと気にしていた日。
思い出すと甘くなる記憶もあるのに、同時に、喉の奥が少し苦くなる。たぶん私は、当時の自分の“頑張り方”を、いまの自分がもう再現できないことを知っているんだと思います。
最近、脳は「予測できない刺激」に強く反応するって話をどこかで読んで、妙に納得してしまったことがあります。
返信が遅い、予定が曖昧、言葉が足りない——そういう“不確実さ”が、私の心をかき回して、結果的に相手の存在を大きく見せていたのかもしれない。
でも安心できる関係って、刺激が少ない代わりに、呼吸が乱れない。心拍数が上がらないからこそ、「これって好きなの?」って不安になる瞬間もある。
その不安に耐えられなくて、わざわざ自分で波風を立ててしまう人もいるって聞いて、まるで昔の私のことみたいで、ちょっとだけ目をそらしたくなりました。
私はたぶん、恋愛の“高低差”を、情熱だと錯覚していただけで、本当は、同じ温度で並んで歩ける相手をずっと欲しがっていたのに、見つけても気づけなかっただけなのかもしれません。
夜、部屋の電気を少し暗くして、ソファに座って、はがきを机の上に置いたまま、私はまだ返事を書いていません。
「恋愛してる?」の問いに、私は今夜は、きれいな答えを出さないでおきたい。
ただ、胸の奥の小さな本音だけは、ちゃんと持っておく。
ドキドキする恋も、たぶんこれから先もある。
でもそれが、私の生活を消耗させるタイプのドキドキなら、私はもう、選ばないかもしれない。
その代わりに、静かに安心できる関係を、私は探したい。探すというより、育てたい。
そう思うことは、弱さなのか、成長なのか、ただの体力の問題なのか、正直まだ分かりません。
あなたは最近、恋愛に「何を求めるようになりましたか」。
その答えが、昔の自分と違っていても、ちょっとだけ笑って受け入れられる夜が、ありますように。





