何も失敗していないのに落ち込む日は、だいたい心が置いてけぼり

今日の帰り道、駅前のスーパーの前でいちばん冷たい風が吹いていた。冬って、空気の粒が大きい。マフラーの隙間から入り込んでくる冷たさが、なぜか「今日の私はちょっと雑でしたよ」と告げてくるみたいで、肩をすくめた。
買うものは決まっていた。卵と、豆腐と、なにか温かいもの。財布の中身も、頭の中の余力も、今日はきっちり「これくらい」って感じだった。
でも、私の「決まっていた」は、だいたい信頼できない。売り場の明るさと、惣菜の甘い匂いと、タイムセールの赤い札に、すぐにぐらつく。
ぐらつきながらも、今日は自分に言い聞かせていた。ちゃんと帰る。ちゃんと食べる。ちゃんと寝る。
なのに、結果から言うと、ちゃんと、できなかった。
レジの前で財布を開いた瞬間、ポイントカードが見つからなかった。
ああ、そういえば朝のメイクのとき、ポーチを入れ替えたんだった。財布はそのまま。カードは、たぶん古いバッグの内ポケット。
たったそれだけのことなのに、レジの光の下で、私は急に「やってしまった」感に飲まれた。店員さんは優しかったし、後ろの人も何も言わなかった。私だけが、勝手に焦って、勝手に小さくなっていった。
「ポイントカードはお持ちですか?」
ただの確認。機械みたいな質問。
でもその瞬間、私は妙に刺された気がした。
“持っているつもりだったもの”を、今日の私は持っていなかった。
それが、なんだか象徴みたいに思えた。
帰宅してからも、その感覚が薄れなかった。
卵は買えた。豆腐も買えた。温かいものも買えた。なのに、私の中のどこかが「今日、負けた」と言っている。
誰かに迷惑をかけたわけでもないのに。
結果だけ見たら、ちゃんと生活しているのに。
どうして、こんなに小さいことで落ち込むのか
たぶん私は、ポイントカードに落ち込んでいたんじゃない。
“探せばあるはず”のものが、必要な瞬間に出てこなかったことに落ち込んでいた。
そして、そのパターンが、最近の私に多い気がして、さらに落ち込んだ。
例えば、返そうと思っていたLINE。
仕事の合間に返すつもりだったのに、気づいたら夜になっていて、既読をつけるタイミングを失って、そのまま一日が終わる。
例えば、少し前に始めたストレッチ。
「続けよう」って決めたのに、三日目くらいで忘れて、気づいたときには“やってない自分”が積み上がっている。
例えば、冷蔵庫の野菜。
使い切りたいのに、疲れている日に限って外で買ってしまって、また使い切れないまま週末が来る。
どれも、致命傷じゃない。
でも、致命傷じゃないからこそ、ずるずる残る。
「大丈夫」って言える範囲の失敗だけが、毎日の中でこっそり蓄積していって、ある日、レジの前のポイントカードで爆発する。
それって、すごく情けない。
同時に、すごく人間っぽいとも思う。
私はきっと、“できなかったこと”そのものより、“できなかったことを気にしてしまう自分”を、いちばん責めている。

「そんなの気にしなくていいよ」って言える人が、うらやましい。
私は、気にしないふりはできても、気にしない人にはなれない。
小さいことに引っかかって、そこから意味を読み取ってしまう。
たぶん、自分のことをちゃんと好きになりたいから、なんでも材料にしてしまうんだと思う。
“うまくいかなかったこと”を、ただの出来事で終わらせられない。
そこに理由がほしい。名前をつけたい。意味をつけたい。
そして、意味づけがうまくいかないと、また落ち込む。
面倒くさい性格だな、って自分でも思う。
でも、この面倒くささの中に、私の暮らしがある。
うまくいかない日は、だいたい「忙しかった」「疲れていた」「余裕がなかった」で説明できるのに、私はそれだけで終われない。
もっと核心みたいなものを掴みたくて、部屋の電気をつけたまま、スマホを握ったまま、ぼんやり立ち尽くす。
そういえば今日、スーパーの帰りにマンションのエレベーターで、自分の顔を見た。
鏡みたいな扉に映った私は、思ったより無表情だった。
ちゃんと生活している顔。
ちゃんと頑張っている顔。
でも、ちゃんと「満たされてる」顔ではなかった。
私が欲しいのは、ポイントじゃなくて、たぶん「手応え」なんだと思う。
“私は今日を生きた”っていう手応え。
でもそれは、目に見えるようで、ぜんぜん見えない。
レシートには印字されないし、財布のどこにも入っていない。
だから私は、時々こうして、なんでもない出来事に引っかかってしまう。
見えないものを、見えるものに置き換えて確認したい。
今日の私は足りてた? ちゃんとできた? ちゃんと自分を扱えた?って。
その確認作業が、ポイントカード探しに似ている気がした。
“持っているはず”の安心を、必要な場面で取り出したいだけ。
こんなとき、暮らしの立て直し方みたいなものを、私はつい探してしまう。答えが欲しいわけじゃないのに、答えの近くに立っていたい。
後半になって、やっと気づいたのは、私は「うまくいかなかった」ことより、「うまくいかなかった自分を誰にも見せていない」ことに疲れていたのかもしれない、ということだった。
一人暮らしって、自由で、気楽で、好きなはずなのに。
うまくいかない日は、自由も気楽も、ちょっとだけ重くなる。
誰にも迷惑をかけない代わりに、誰にも引き取ってもらえない。
今日の私は、ポイントカードを出せなかった。
それだけ。
それなのに、私は自分に「だめ」を押してしまった。
この「だめ」は、いつから私の癖になったんだろう。
明日はきっと、もう少し器用にできるかもしれない。
でも、明日もうまくいかなかったら?
そのとき私は、またポイントカードみたいなものを探して、見つからなくて、ひとりで小さくなるのだろうか。
答えは出せない。
今日はただ、レシートの裏みたいな気持ちを、ここに置いておく。
折り目がついたままでも、捨てなくていい気がする。



