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ちゃんとできなかった日の帰り道で、なぜか涙が出そうになった理由

悩む女性
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片方だけ残った手袋が教えてくれた、何も失敗していない夜の話

駅のホームに立った瞬間、冬の空気がスカートの隙間から入り込んできて、膝のあたりがきゅっと縮むみたいに冷えた。夕方の、もう夜になりきれない時間。空は薄いグレーで、街の明かりだけが先に元気だった。改札を抜けたところで、私は手袋を片方落としたことに気づいて、立ち止まった。

今日、うまくいかなかったことは、たぶん手袋のことじゃない。
でも手袋って、ちゃんと片方ずつあるから成り立っていて、片方だけでもないよりマシなのに、落とした途端に「もうダメだ」と思わせる力がある。片方だけの手袋をポケットの中で握りしめながら、私はなんとなく自分が片方欠けたみたいな気分になった。

自分でも驚くほど、今日は小さな失敗が多かった。ほんの少し遅く起きて、いつもなら余裕で間に合うはずのメイクが妙に決まらなくて、眉だけがずっと迷子。まつ毛は上がりきらないし、いつも使っているリップだけがやけに浮く。焦っているときの鏡って、容赦なく焦りを映す。私は自分の顔に、今日の「うまくいかなさ」を貼り付けられている気がして、急いで視線を逸らした。

電車の中では、座れたのに落ち着かなかった。スマホを開いても、見たいものが見つからない。動画はうるさく感じて、SNSは疲れる。ニュースは心が冷える。指先だけがスクロールして、私はどこにもいないみたいだった。たぶん、私は「ちゃんとしてる私」に戻る方法を探していたのだと思う。起きて、働いて、笑って、きちんとこなして、夜には少しだけ満足して眠る。そういう日々の型に、今日はうまく入れなかった。

職場で起きたことは、本当に些細なことだった。たった一言、言い方がよくなかったとか、タイミングがずれたとか、確認を一回多くしておけばよかったとか。誰かに怒られたわけでもないし、大きなミスをしたわけでもない。でも、何かが積み重なっていく感覚があった。紙の上に、水滴が落ちて染みが広がるみたいに、じわじわと「自信」が薄くなっていく。

昼休みに買ったコンビニのスープが、普段よりぬるかった。カップのフタを開けた瞬間、湯気の弱さに気づいたのに、私はそのまま食べた。お腹は満たされたのに、満足はしなかった。自分で選んだはずなのに、自分で決めた感じがしない。今日の私って、ずっとそんな感じだった。いろんなことを「こなして」いるのに、自分の意思がそこにいない。

夕方、ふとトイレの鏡で自分の顔を見たら、頬が少しだけ赤かった。暖房のせいかもしれないし、疲れのせいかもしれない。目の下に薄い影があって、私はその影を指で消したくなった。でも消えない。目の下の影って、薄いくせに、ちゃんと存在を主張する。私はその影に向かって、「今日はこういう日なんだね」と言いかけて、やめた。言葉にしたら、本当にそうなる気がした。

帰り道、手袋を落としたことに気づいたとき、私は一瞬だけ泣きそうになった。信じられない。手袋が片方なくなっただけで、泣きそうになるなんて。だけど、泣きそうになったのは手袋のせいじゃなくて、「今日は何も守れていない」感じがしたからかもしれない。朝の余裕とか、言葉の丁寧さとか、自分の機嫌とか、ちゃんとした生活っぽさとか。そういうものが、指の間からすり抜けていくみたいだった。

家に着いて、電気をつけた。ワンルームの部屋は、昼間誰もいなかった顔をしていて、静かだった。コートを脱いで、バッグを置いて、片方だけ残った手袋をテーブルに置く。たったそれだけのことなのに、部屋の真ん中に「欠け」が置かれたみたいに感じた。

冷蔵庫を開けたら、昨日買ったヨーグルトがあった。賞味期限はまだ先。ちゃんと残っている。私はそれを見て少し安心した。今日失くしたものばかりに気を取られていたけど、ちゃんと残っているものもある。そう思えた瞬間に、また少しだけ情けなくなった。安心する基準が、ヨーグルトなんだ、と。


小さな違和感を見逃した夜、ひとりの部屋で考えていたこと

こういう日、私はいつも迷う。自分に優しくしたいのに、優しくする方法がわからない。お風呂に入る? 甘いものを食べる? 早く寝る? どれも正しそうだけど、どれも「対処」みたいで、心の奥のざわざわが置き去りになる気がする。じゃあ、何をすればいいの。ざわざわを抱えたまま、どうやって夜を終わらせればいいの。

「頑張ったね」って自分に言うのも、今日は嘘っぽい。頑張ってないわけじゃない。でも、頑張ったと言い切るには、何かが足りない。成果とか、手応えとか、ちゃんとできた感じとか。私はいつも、「できた自分」に許可を出して、「できなかった自分」には保留を出す。今日の私は、保留のまま家に帰ってきた。

一人暮らしの部屋って便利だ。誰にも見られない。誰にも説明しなくていい。だからこそ、こういう日は怖い。誰にも見られていない分、自分の中の小さな声がよく聞こえる。「ちゃんとしなよ」とか、「また同じこと繰り返すよ」とか、「その程度で落ち込むの?」とか。厳しい声ほど、静かな部屋でよく響く。

夜ごはんを作る気力がなくて、結局、冷凍していたごはんを温めて、適当に納豆を混ぜた。味は、普通だった。普通ってありがたいのに、今日は普通が少し寂しい。私は「特別」になりたいわけじゃない。ただ、今日の自分が今日のままで終わっていい、と言ってほしかった。

ふと、片方だけの手袋を見て思った。片方だけ残ったものって、なんだか「責任」みたいだ。失くした側を探さなきゃいけない気がして、探さないと怠け者みたいで、でも探しても見つからないこともあって、そのときにまた自分を責める。手袋ひとつで、そんな連想が出てくるのも嫌だった。私は今日、責める材料を探すのが上手になりすぎている。

前に、自分の機嫌の整え方について書いた記事があったのを思い出して、スマホで少しだけ読み返した。あのときの私は、今より落ち着いた言葉を使っていて、ちゃんと呼吸しているみたいだった。解決策みたいなものも、そこにはある。たぶん、今の私が読みたいのはそれだとわかっているのに、全部は読みきれなかった。


気づき未満のまま、置いておく

洗面所で顔を洗ったら、頬の赤みが少し落ち着いた。メイクを落とした顔は、朝よりずっと素直に見えた。私はたぶん、朝からずっと「良い私」を演じようとしていたのかもしれない。演じること自体が悪いわけじゃない。社会で暮らすってそういうことだ。でも、今日はその演技の衣装がちょっと重くて、肩が凝って、帰り道で手袋を落とした。そんな日。

落とした手袋は、もう見つからないかもしれない。明日、同じ時間に同じルートで歩いたら、どこかに落ちているかもしれない。誰かが拾って、駅の落とし物に届けてくれているかもしれない。何も起きていないかもしれない。どれでもいい、と言い切れるほど私は強くないけど、どれかひとつに決めつけるほど、もう疲れた。

今日の「うまくいかなかった」は、結局何だったんだろう。手袋? 眉? 言葉のタイミング? それとも、ずっと自分の機嫌を後回しにしていたこと? わからないまま、わからないからこそ、私はこうして書いている。答えを出さない文章が、今日の私には少しだけ合っている気がする。

部屋の電気を少し暗くして、ベッドに腰掛けた。片方だけの手袋は、まだテーブルにある。私はそれを見ないふりをしながら、見ている。見ないふりをしながら、気にしている。今日の私みたいだ。

明日になったら、今日のことを笑えるのかな。
それとも、笑えないまま、また次の「うまくいかなかった」を重ねるのかな。

——答えはまだ出さなくていい。そう思えた瞬間だけ、部屋の空気が少し柔らかくなった気がした。

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